それは、まだ私が十代前半だった時の話です。
当時の私はそりゃあもう根暗な猫背で(今は若干陽気な気味の悪い猫背ですが)、駅前の路地に照り付ける強い日差しを受けながら、ああ、もう春も終わりか、夏が来たらハッピーサマータイムひゃっほう、などと思いながら歩いておりました。
小学生を出る頃になると、私にも煮えたぎるラー油のように辛い思春期が訪れたと言いますか、少しは自分で物事を考える事が出来るようになり。
それと同時に、斜に構えて『自分が一番賢いのだ』などと、妙なプライドを持っていたものです。
その自意識、逸れることスライダーの如し。変化球ってのはねえ、地力が付いていないうちから習得しようともがくもんじゃあないよと。やはり、そんな所ではないかと。
学校にも行かず、図書館に入り浸っては医学と経済学の本を読み漁り。自分の喘息を治したかった事と、お金持ちになりたかったからですね。嫌な子供だ。
しかし、答えは出ず。やがて私の心は荒み、路地裏の壁に貼り付いたガムのような人間へと変化して行きました。
そうして駅前を歩く人々を死んだ魚のような目で見ながら、日がな一日、答えの出ない事を考えるのです。
(この中にいる何人の大人が、本当に信頼できるものだろうか。本を書くような人ですら、Ⅰ型アレルギーに対する根治治療法を持っていないのに……花粉症は年々増加している。大人は立派だと言い聞かせながら、結局社会にある様々な問題を解決できていないじゃないか……)
嫌な子供ですねほんとにもう。
まあ、『自分は頭が良い』という思い込みはやはり、沢山の『本当に賢い方々』に揉まれ、次々と自信を折られて行ったものでございますが。それはまた、別のお話。
家にはお金がなかったもので、ぼろのシャツを着て、つるの折れた眼鏡をかけ、ポケットに手を突っ込んで、背を丸めて歩いていたものです。
おそらく、そんな私に親近感を覚えたのでしょう。不意に私は後ろから、声を掛けられるのでした。
「アナタは神をシンジマスカー?」
マジかよ。
と、私は思いました。
そんなにベタな文句で声を掛けてくる人、初めて見たぞ。
肩を掴まれ、振り返りました。そこには、白髪が汚れて若干灰色になってしまっている、私なんかとは比べ物にならない程のぼろの服を着た男性が立っていたのです。
外国人だ。もしかしたら、ホームレスなのかもしれない。
頭の中では偉そうな事を考えながらも、勿論経験もなく、このような出来事への対処法など一切心得ていなかった私は、しばしフリーズしてしまいました。所詮、妄想だけの優秀さなのです。
同時に、恐怖が襲ってきました。
どうしよう。未確認生命体だ。UMAだ。頭のおかしい人かもしれない。年齢はどのくらいだろう。60代か、それとも70代だろうか。まさか……サンタクロース!? メリークリスマスって言ったら笑ってくれるかな? まだ春なのにって。いや、違うんだよ少年。クリスマスはいつの日も、君の心の中にあるんだ。そう言っておじいさんがくれたのは、ヴェルタースオリジナル。その味は甘くてクリーミィで、こんなに素晴らしいキャンディをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。今では私がおじいさん。孫にあげるのはもちろん、ヴェルタースオリジナル。何故なら彼もまた、特別な存在だからです……
と、若干トリップしかける私。
目の前にいる外国人と思わしき方は、私の顔を見ると、こう言いました。
「アナタにも、神のご加護を授けたいと思うのデスが」
いやどう見ても、あんたが先に授かったほうが良いだろう。
思わずツッコミを入れながらも、広い道には家族も友人もおらず、私は一人。周囲の大人は少しこちらを見やりながらも、助けてくれる様子はありませんでした。私は口をぱくぱくとさせながらも、胸に手を当てて深呼吸しました。
落ち着け。私よ落ち着くんだ。こんな時こそ、咄嗟の判断力を信頼するんだ。よく見てみれば、相手は一人。全力で逃げれば何も起こらないかもしれない。こういう人の目的は大体お金だ。そうに違いない。
「今なら少しのお金で、神のご加護を受けられマスよー」
それみろ来たぞ!
私はサッと手を挙げて、その男性にきっぱりと、言わなければならない事を言いました。
「あなたにあげるお金はありません!」
しまった!!
そこは『今、お金を持っていません』って言うところだろう! なんでわざわざ怒らせるような事を言っているんだ私は!?
気が動転しているのです。
しかし、男性は私の肩を頑なに離さず。幼い私には振り解く力もありませんでした。今の私には、その異国の男性が若干、ヴォルデモなんとかに見えない事もありません。
「ほんとに、ほんの少しで良いんデスよ」
私は思いました。
どうしよう。財布を持っている事がばれてしまった……!
いいえ、別に全然ばれてはいないのです。ただ、当時の私は判断力が大変に鈍っており、こんな事を考えるまでになっておりました。つまり、彼の作戦はある意味成功しているとも言える訳なのです。
しかし、手に持った鞄だけは決して離すまい。そう思っていた所、不意に男性は、自身のコートの中をまさぐり始めました。……コートって。もうじき夏の、この暖かい日に。
私は思いました。これは、アレだと。壺を売られる系のやつだ。どうしよう、面倒な事になってしまった。親もいない。何をいくらで吹っ掛けるつもりなんだろう。そもそも私は精々数百円しかお金を持っていないのに。
そうして、ついに男性は、目当てのものをコートから引っ張り出しました……!!
「これで、神のご加護を受けられるのデスよ」
私は驚いて、その男性が出したものをまじまじと見詰めてしまいました。
えっ……?
酢こんぶ……?
そこに入っていたのは、小さなチャック付きポリ袋に入れられた、むき出しの酢こんぶ的なもの。長方形で若干フニャッており、白い粉がまぶされています。
「これは、神様と意識をつなぐ大切なものなんデスよ」
神はこれを、携帯電話に使っていると噂を聞いたことがある。ハハッ、私はそんな所は見た事がないがね。
何故か唐突に、殺人現場の証拠品もかくやといったようなアイテムを取り出し、説明を始める彼。しかし、その手に持っているのはどう見ても酢こんぶ。彼の手が揺れるたび、ふにゃりふにゃりと形を変えています。
少なくとも私には、酢こんぶにしか見えない。
「アナタだから声を掛けました。是非、アナタにお渡ししたい」
そう言っておじいさんがくれたのは、ヴェルター酢こんぶオリジナル。孫にあげるのはもちろん、ヴェルター酢こんぶオリジナル。何故なら彼もまた、特別な存在だからです……
な、なんだろう、この奇妙な光景は。いくら何でも、もう少しマシなものが登場すると思っていた。
先ほどまでとは違う意味でフリーズする私。
「まだ、セカイでも限られた人しか持ってマセン」
隣のスーパーで100円で売ってるよ。
急速に熱が冷めた私はパニックを克服し、白髪の男性に向かって手を挙げ、言いました。
「いりません」
「ほんの少しのお金で、神様と交流が」
「いえ、いりません。僕には必要ありません」
「神様と」
「いりません」
……こうして私は、謎の勧誘から素早く身を引き、家に帰ったのでありました。
今にして思えば、どう見てもお金を持っていないであろう私に、何故狙いを定めたのか。騙しやすそうだと思ったからなのか。真相は未だ闇のままです。
あの時は男性から逃げる事しか頭に無かったのですが、もしかすると本当に善意で寄ってきてくれたのかも……いいえ、それはさすがに考えにくいでしょうか。
しかしやはり、どう見てもあれは酢こんぶにしか見えませんでした。塩昆布にしては、少し大きすぎるし。1枚しか入ってなかったし……
しかし、善意か悪意かなど、過ぎてしまった今では誰にも分からないのです。私は、善意だったとして受け止めておく事にしようと思いますよ。
と言っても、酢こんぶを受け取るのはかなり抵抗があるので、次があっても断るでしょうけれども。
これを読んで頂いている方も、もしこのような場面に遭遇したらですね。爽やかに断りつつ、こんな事を思い出して頂ければと思います。
その話し掛けてくれた方はですね、数いる路上の人の中から、あなただけを選んでくれたのです。何故ならあなたもまた、特別な存在だからです。
ヴェルタ―酢こんぶオリジナル。
お後がよろしいようで。
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