ともあれ、私は何か物事を気楽に続ける、という事にかけてだけは、それなりに得意かもしれません。
たとえば、もう4年間も毎日のように小説のプロットを考え、文章を書き、作品を作るという事を続けています。
完結した作品は10作以上。途中で企画倒れした文章も含めれば、書き上げた文字数は1千万文字を超えます。
演劇も(3桁万以上吹っ飛ばした経験があるにも関わらず)未だに作ることをやめておりませんし、3年前から始めたFXも、このブログもやめずに細々と続ける事ができております。
ただ諦めが悪いとも言うのでは……。
などと、若干自慢話のような下りから入ってしまって恐縮ですが、まったくそれが凄いと自負する訳ではございません。物事を続けるには、ちょっとしたコツがあるものだと思うだけなのです。
つまりこれは、長く続ける技術ではないか!
そんな話をしようと思うのはですね。つい先日、とある友人からこんな事を相談されたからなのです。
「どうしてくらげは面倒臭い事でもずっと続けてるの?」
どうして……と言われてもなあ(笑)。思わず、そのような反応をしてしまった私ではございますが。改めて考えてみると、これがよく分からない。
よく分からないのであれば、考えてみよう。といったところで。
確かにですね、例えばブログが続けられない、という相談はよく聞くのですよ。別に大したアクセスが稼げている訳でもないこのブログですが、一応私は書き続けてはいますし、アクセスアップの方法も日々探してはいますので。
そういえば小説も、続けられないという話をよく聞くのですよね。完結できない、最後まで書き切れないのだと。まあ確かに、その気持ちはよく分かります。私もですね、恥ずかしながら、Webで公開しながら企画倒れしてしまった作品を数多く持っておりますよ。
しかし、作品として完結することができるようになりました。ここにですね、技術の可能性を感じます。
ということで今回は、まるで継続する事ができない人のために、『100%毎日』ではなく、『80%くらい毎日』物事を続ける方法なるものを、ご紹介させて頂ければいいなと。
今回は、そんなお話です。
1.ノルマは『毎日』やらなくてもいい!
おいどうしたこの記事。大丈夫か。といった声が聞こえて来るような気がいたします。
しかしですね。これ、私は非常に重要だと思う訳なのです。何故かと申し上げますと、打ち立てたノルマを100%達成することができる人は、特別な人だと感じるからです。
私はですね、思います。一切の妥協や甘えを排除して、自分自身が打ち立てたノルマを100%実行できる人というのは……確かに自力はあるでしょうけれども、少なくとも限られた人だけだと思うのですよ。
何度も挑戦しましたが、今の私には無理だと感じる訳なのです。
毎日のイレギュラーが一切発生しないと言うのであれば、それは確かに実行可能かもしれません。一人暮らしで、自分自身のルーチンワークを持ち、それで収益化できていて、かつ時間に余裕がある。そのような方なら、達成可能かもしれません。
しかしですね。結婚していて家庭がある。実家もあって就職しており、毎日残業の可能性がある。そんな、一般的な我々社会人。そのような人間に、イレギュラーで時間が奪われる可能性がどれだけあるでしょうか。
赤子が泣いたから。子供が風邪をひいたから。家族で用事があるから。仕事であれば、突発的な残業が発生したから。火消しをしなければならないプロジェクトがあるから。そんな理由で、私達の時間は日々削られ、減っていくのです。
冠婚葬祭の日にノルマ達成。難しくないでしょうか。
だからいっそ、発想を変えてですね。このような姿勢で挑んでみてはいかがでしょうか。
ノルマは『毎日』やらなくてもいい!
いえ、ノルマは掲げるのです。「毎日ブログ1記事」「毎日1時間は本を読む」「毎日1時間は勉強する」……そういったノルマを掲げつつ、しかし毎日やることにこだわり過ぎない。
これが大事なのではないでしょうか。
過剰にノルマを厳守しようとすると、それが達成できなかった時にひどく落胆してしまいます。そうすると、「今日ノルマ達成できなかった」が、「昨日ノルマ達成できなかった」に変わり、いつまでも私達の足を引っ張るのです。
だから。もういっそ、100%の達成は最初から諦めて、しかし100%を目指していくスタイルに切り替えましょう。昨日はできなかった。それでもいいんです。今日は今日ですよ。1時間は無理でも、30分なら時間があった。それなら30分やってみましょう。
どうしてもやりたくなければ、その日はいっそやめてしまいましょう。
これが、逆に日々ノルマを達成するための足掛かりになり、ひいては『80%は継続する』ことに繋がると思うのです。
2.目標は、『楽々は無理、でも少し頑張れば達成可能』な所に設定する!
簡単な目標。難しすぎる目標。これらはですね、続いた試しがありません。それは何故なのか、少し考えてみました。簡単すぎる目標は、当然ながら日々達成する事も容易です。そうするとですね、「まあ、今日はやらなくてもいいか」という思考が働いてしまうと思うのです。
特に苦労もしないので、やる事に達成感がありません。なので、逆に毎日続ける事に対して疑問が生じてきます。「こんな事をやっていて、何か意味があるのか……?」
すると、「1日くらい休んでも、何も変わらない」という問題が発生し、翌日には「今日もやらなくてもいいか」となり……やがてそれが一般化して、ノルマが消失します。
もしかすると、1週間もやらなければ、1週間続けた時と比べると違いがあるかもしれません。いえ、あるでしょう。
しかし、日々の変化が少ないので、その実態に気付くことができないのですね。
対して、難しすぎる目標は、達成感があります。達成感があるので良いのですが、これは続けるのが大変です。
そして多くの場合、難しすぎる目標は長い時間の制約を伴うのです。人は、知らずのうちに物事にかかる時間を計っているもの。そうすると、家に帰って時計を見た時に、「あ、もうこれ間に合わないな……」というのが分かってしまうのです。
そうして、次の日も「間に合わないな……」となってしまうと、3日目にはもう、時計を見る事すらしなくなります。恥ずかしながら、これは特に根性のない私の実体験でございます。
だから、「簡単には達成できないけれど、少し頑張れば達成できる」その、自分が納得できて達成感があり、しかし頑張らなければならない絶妙な部分に日々の目標を定めるのです。
そうして、それを積み上げると未来の遠い夢が達成できるようになっている。
ここが、大事なのではないでしょうか。
そうなると、疲れて帰って来た時も「あと1時間か……よし、いっちょやるか!」となり、その達成感が翌日に良い影響をもたらし、続ける事が可能になると思います。
それを、「ノルマが達成できなくても落ち込まない」1つ目の作戦と合わせてしまうと、それは日々の習慣になり、生活に刺激を与えます。そして、できなくても落ち込まない。
この、自分が納得できるポイントを探すことを第一に考えるのが良いのでは、と思うものです。
3.ただし、最初は何としても『やめると気持ち悪くなるまで』続ける。
最後はこれです。スタートダッシュについでですね。多くの場合、目標に向かい始めている最初は楽しいので、これを意識する事は無いかもしれません。驚くほどの効率を叩き出し、半ばランナーズハイのようになる事もありましょう。
しかし、問題になるのはその高揚感が薄れ、ルーチンワークと化してきた頃からです。
最初は頑張っているので、この『少し頑張れば達成できる』目標というのは、簡単に達成しがちです。そして、日々その効率が落ちてくる時期がいずれ訪れます。この段階では、まだランナーズハイは続いており、自分の本来のパワーを超えて稼働している状態です。
ここで、いずれその目的に対する興味が薄れてきた頃、そのまま失速して0に戻ってしまう方が沢山いらっしゃいます。
しかし、最もエネルギーを使わなければならないのはこの時なのです。今まで楽に続けられていた事が、ランナーズハイを通り越して続け難くなる瞬間が訪れます。「やるのが面倒……」そう感じた時、少し踏ん張って、どうにか目標を達成しましょう。
ここだけは、前述の『80%ルール』を適用させない事が大事です。
そうして日々の達成が習慣化されると、ノルマを苦に思わない時がやがて訪れます。毎日風呂に入って歯を磨くように、「やらないと気持ち悪く感じる」瞬間が訪れれば、もう続ける事はできたようなもの。
意外とこの『ランナーズハイ→ダウン』の時期に頑張れない方が多く、断念してしまいがちです。自分に根気がない訳ではないのです。これは、必然的に訪れる苦境だと思いましょう。
そうして気が付けば、雨の日も風の日も、80%の力で日々習慣をこなすモンスターが登場していることでしょう……!
物事を継続すること。それは難しいようで、意外と身近な所にあると感じます。
日々の生活と関係ない部分を習慣化させることは、実は思っているよりも難しく、そして無くなっても困らないので、非常に断念しやすいですね。
しかし、一度習慣化させる方法を自分の中に作ってしまえば、何を始めようと、目標が達成される所まで飽きずに懲りずにコツコツ続ける事が可能になると思うのです。
そんな訳で、私はこの方法をぜひ、おすすめさせて頂きたい。
ところで先日、こんな事を嫁様から言われました。
「毎日朝起きてくれないから、朝の家事は私がやるしかない」
……。
やりたくない事を続ける方法も、どうにか編み出さなければなりませんね。
お後がよろしいようで。
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