何の因果か、私の周りには『常に偉そうな態度を取っている人』というのが、とても沢山いらっしゃいます。
そんな事を言って失礼ではないか、という声が聞こえて来そうです。いえいえ、本人が自分で自分の事を「私は偉そうな人です」と言っているのです。
いや、その発想はなかった。
そんな、自称『偉そうな人』と仲の良い私。
これはいわゆる、類友というやつではないでしょうか。そう、類は友を呼ぶ的な。いつも偉そうで本当に申し訳ございません。
しかし、『偉そうな人』とは、どのような人を指すのでしょうか。
なんだか私はもはや耐性が付いてしまって、特に誰が偉そうな態度を取っていようと、まるで普通に会話する事ができるようになってしまったのですが。
私に同行する友人などは、やはり嫌悪を示すようでして……。あれですね。これは言外に、私をディスっているのでしょう。お前少し調子乗り過ぎだぞ、と。
申し訳ございません。ええ、そこはやはり。深々。
なんとなく、『偉そうな人』ってどんな人? という話をしてみた所、どうやら以下のようなタイプを指しているようです。
- 自分の功績や努力した事などを高らかに掲げて他者を否定する『わたしかわいい』タイプ
- 常識としておかしい、当然こうするべきだ、と自分ルールを語って他者を否定する『無限の俺ルール』タイプ
- 聞いてもいないのに知識を披露して、教師口調でやたらと他者を否定する『知識自慢』タイプ
ともあれ、少しばかり他者を否定しすぎではないでしょうか。
まあ、言われてみれば私の友人にも、そのような傾向を示す方はいらっしゃるかもしれません。
……いや、むしろ親友?
どうでしょう。これらが全員友達の私。類友なわけですよ。もはや私は、キング・オブ・偉そうな人ではないでしょうか。ええ、ここはやはり、ドヤ顔すべき所でしょう。
ドヤァ……
※モニターに石を投げないで下さい。
しかしですね。ふと私は、考えました。
別に上記の3つは、必ずしも悪い要素では無いと思うのですよね。
『わたしかわいい』は功績を残してきた方でもある事ですし、『俺ルール』は自分に厳しい事の裏返しでもありますし、『知識自慢』は豊富な知識を持っている、とも言い換えられると思うのです。
第一、これらの要素を持っていながらにして、人から愛される、信頼されるキャラクターとなっている方は沢山いらっしゃいます。
……では、何がいけなかったのでしょうか。共通する意見は、『偉そう』というキーワード。
あれ? 結局、なんのことだか分かりませんね。他者を否定する所にポイントがあるのでしょうか。
『偉そうな人』ってどんな人なのでしょうか?
『偉そうな人』とは?
ということで、少し考えてみたのですが。『偉そうな人』だと感じる人の大多数は、やはり『主従関係を(勝手に)作っている、または作ろうとしている』という所に終始するのではないか、と思うのです。
やはり、『相手を支配したい』願望の強い方がこうなりがちだなあ、と思うところで。
自分の意見に優位性があると考えているからこそ、他者を否定しがちなのではないか。
会話のたびに自分の意見が否定され続けると、なんだかその方に必要とされていない気がして、嫌になってしまいますよね。
それはある意味では、自分を大きく見せたいという事でもありそうですし、過剰な承認欲求でもありそうです。
しかし、根本的にはやはり、相手を支配したい、という欲求の現れではないかと。
なるほど。『偉そうな人』とは、無条件に人を支配したいと思う人の事を指す、という訳ですか。
それならば、知識や功績がいかに素晴らしかったとしても、態度が許せない、となってしまう方が居るのもよく分かります。
やはり、人は素直が一番。無理に人の上に立つポジションを目指さなくとも、丁寧に優しく接していれば、自ずと人とは仲良くなれるのではないでしょうか。
と思っていた所、若干貴重な意見を得る事ができました。
これは、私が実際に話した、とある方の台詞なのですが。
「あえて、偉そうな態度を取っている。俺は嫌われても良いんだよね」
嫌われても良いから、偉そうな態度を取る。
……?
どういう事なのか若干分からなかったので、説明を頂いた所。ああなるほど、という回答が返って来ましたよ。
その心は、『相手を選別する』という姿勢でございました。
わざと偉そうな態度を取る。
若干、圧迫面接のそれに近いような雰囲気もありますが……偉そうな態度を取った時の相手の行動というものは、これは面白い位に性格が出るらしいのですよね。その人のコミュニケーション上の能力を見ているのだと。「偉そうな態度を取った位で離れていく奴であれば、それは大した事の無い奴」だというのが、敢えて偉そうな態度を取っているその方の、ひとつの意見でした。
……うーむ。そうでしょうか。
まあでも確かに、態度ではなく実績をベースに考える社会人気質の方はですね。このような態度を取られても、おそらく簡単には、その方の評価を下げないだろうとは思います。
例えば、社会的な功績がある時などですね。
態度はどうあれ、ビジネスの関係では仕事ぶりが最も評価されると思います。それを知っている方は、多少上から目線で話していたとしても、冷静な態度を取りそうですね。
なるほど。そうやって、その方が思う所の『使えそうな人』を選別している、という訳ですか。
あらあなた頭良いですね、と思うと同時に。
……まあ、私にはできないかなあ。
なんて、苦笑してしまったのですが。
なんだか無理をしているようにも思えますし……そこまで相手を試すような事をしなくてもですね。優秀な人を探す方法というのは、他にもあるのではないでしょうか。
何より私は、相手を圧迫するような態度を取る事で、相手の本心が見えなくなってしまう可能性がある、というのがですね。どうにも肌に合わず。
その方が試しているのはストレス耐性の話で、『今話している相手がどれだけ秀でているのか』という意味では、あまり役に立っていないのではないか、とも。
……なんて、少し否定的に考えてしまいました。
技術を持っていて物事を成し遂げたい人は、技術を持っていて物事を成し遂げたい人と仲良くなるのでは。
私は、相手がどれだけ秀でているのかというのは、むしろ相手の情報を引き出す事で分かるような気がいたします。ならば、相手の話を根気良く聞くと。そうする事で、相手の情報は自分に流れて来るのではないかと。
自分の話をちゃんと聞いてくれる相手にする、というのはですね。これは、誰でも気持ちが良いのではないでしょうか。
そんな中で、私の想いも話すことができれば。これ幸いといった所なのですが。
やはり、何か強い目的を持って日々を生きている人間というのはですね。自分の目標があり、それに向かって常に邁進している方ではないかと思うのですね。
何しろ脇目も振らずにそちらへと進んで行くもので……自ずとその目標に付いて行けない方というのは、脱落して行くものではないでしょうか。
優秀な人ほど、なんだか孤独な事が多いように感じます。
だから、話を聞きたい。私にはよく分からない事も多いのですが、その人の技術を認めてあげたいなあと、私は考えます。
もし本当に『優秀な人とだけ仲良くなりたい』のであれば、自分が高みを目指せば目指すほど、周囲の人は呆然とそれを見守るだろうと思います。
同じ場所を目指したいと思う人は、きっとその人に付いて行く事でしょう。
結局の所、自分が努力をすることで、自分の周りに優秀な人は現れ、協調するのではないでしょうか。
ならば無理をせずとも、自然体でも良いのでは。
無理して自分を大きく見せたり、相手を身動きが取れない程に支配したいと思ってみたり。……といった事をすると、無理をしているのが相手にも伝わってしまいそうで、どうにも心苦しい。
というのが、私の意見でございます。
そういえば、特にインターネットの世界などでは、文字だけでしか人柄を判別できないものですから、あらぬ誤解を産んでしまうケースが多いですよね。
断言・言い切り・強い意見などは、それをそのままその人の人格として考え、偉そうな態度を取っている、調子に乗っている、と憤慨してしまう方もよく目にします。
……私も常に、気を付けなければ。
書く側の身としては、その文章の捉え方こそ十人十色であるもので……配慮が足りていない事も多く。自分の文章こそ、コントロールするのが大変だと感じております。
その点、文章には性格が出るとは言いますが、その文章がその人の『全てである』とは、考えない方が上手くいくのでは、と考えてしまいます。
『一部』では、確かにあるのですけどね。人は文字では語り切れない程、複雑で奥深いものであります。
穏やかでどっしりと構え、どのような態度の方にも平等な対応を心掛けたいものですね。
お後がよろしいようで。
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