日々、小説やら仕事やらと熱心に活動をしていると、不意にこんな事を問いかけられる事がございます。
私などはですね、本当に頑張っている方からすれば、これはまだまだだぞと。そのように言われても仕方がない立場にあることは、やはり理解しているものではございますが。
それでも、『自分は頑張れていないな』と考えている人から見ると、これは頑張っている方に該当するようでございまして。
そこで今回は、『何故、あなたは頑張れるのか』といった問い掛けに対し、どうして私は日々、このような活動をしているのだろう、といった振り返りを焦点にですね。
あるひとつの回答を用意できれば良いなと、そのような事を考えるに至りました。
あるうららかな晴れた日、皆様はこのような問い掛けに対し、どのような回答を用意するのでしょうか。私と違った回答であれば、それはより面白いかもしれませんね。
『頑張る』ってなんだ。どういう状態なんだ。
一番初めにこのような事を問い掛けられた時、私は「頑張るってなんだろう」と思った事がありました。やはりですね。自分のことは、自分が一番よく分からない。何しろ、「俺マジで頑張ってる」などと考えながら日々を生きた事はですね、やはり無いもので。
もしかしたら日々、頑張って生きている、と感じながら生活している方も、中にはいらっしゃるかもしれないのですが。
そしてそれは、ともすれば翼を生やして坂を駆け上がるまなみんのように、「俺……生きてる!!」となるのかもしれませんが。
……まあ良いでしょう。
私は、頑張っているのでしょうか。
やらなければならない事をやっているのが『頑張っている』状態なのだとすれば、頑張っているのかもしれません。
しかしですね。実は私は、やらなければならない事以外には本当に無頓着で、何もしていないのです。
趣味は小説以外にありませんし……小説もですね、できれば仕事にしたいと思っているからこそ、書いている訳でして。厳密に言うと、趣味ではないんですよね。
しかし、例えば仕事などで言えば、少なくとも私の会社に居る同僚などは、同じ立場とも言える訳なのです。
それでも、社内で頑張っている人・面倒くさがってやらない人というのは、確かに明確に別れております。
そんな中で言えば、私は一生懸命仕事をしている部類に入るのかもしれません。
なるほど。これが、『頑張っている』なのでしょうか。
……そうだとすれば、何故、そこに差が出るのでしょうか。
先日、とある方とそのような話をしていた所、ふとひとつの答えに行き着きました。
そうか。頑張っている人はみんな、『やらないと死ぬ』。
これ、ある意味では真理なのではないか。
『やらないと死ぬ』
私は家庭を抱える、極々一般的なサラリーマンです。それだけならば良かったのですが、私の家族には少し困った不安がありまして……ここではぼかしますが、とにかくいずれは、複数の世帯について面倒を見なければならない可能性があると。
そうするとですね、今の稼ぎなどでは到底、足りる筈もない状況でして。別に良い大学に行っている訳でもなければ、放っておいても立場が上がる会社にいる訳でもない。
そうなると、必然的にこれは、どこかで私の価値を向上させなければ、生きて行く事ができません。
もっと早くに、その事情を呑み込めていれば。おそらく私は、価値の高い学校にどうにか奨学金などを通じて入り、高収入を目指していたかもしれません。
ところが、そうはならなかった。良い学校に入る価値を理解していなかった私は、適当に学校生活を送っていましたと。
スタートするのが、少し人よりも遅れてしまったのですね。
そうなると、これは社会人になってから、どうにか挽回しなければならない、という事になります。
そうして、私は一生懸命仕事をするようになりました。
まあ、その後もうまーく口車に乗せられてしまうような事態は多々あるのですけどね。今もなお。
ふふふ。
これは余談ですが、ただのサラリーマンというのはですね。基本的には搾取される側の立場に居る訳なんですよね。これは大事ですよ。なんとなくの理解で通り過ぎてはいけない事でしたね。
そこにいかなる信頼関係があろうとも、裏切られる時には何も結果が残らない。そのようになってしまう事もまた、やはりあろうと。
資金を持つのはですね。資金的なリスクを負った人間なのです。
会社に功績を残した人物ではありません。
今ここ。といった感じで。
……まあ良いでしょう。
そして、どうにか今を変えようと努力している方々はですね。私の周囲では皆、一様に後がない人達だったのです。
今、頑張らないと死ぬ。だから、どうにかしなければならない。
そうやって必死にあがいている様が、外から見ると『頑張っている』といった風に映るのではないでしょうか。
安全地帯から頑張る事は難しい。
そこで、「なんか頑張る気が起きないですよねー」と言っている方や、「こうしたい」「ああしたい」「こうなったら良いのに」と言うけれど行動していない方を見ていて、私はある共通点に辿り着きました。例えばそれは、住む家があること。
家庭を持っておらず、かつ両親が元気&働いている、という状況下の方々。彼等彼女等は、実家で暮らしている事も多いです。
これは自分が働かなくとも、衣食住はある程度確保されていると。そういった境遇です。
こうなると、自分が働くのは自分のお小遣いのため、という事になります。仕事が無くなったとしても、死にはしないのですね。
やはり、そこまで安心できる場所がある方は、無理にその場所から出なくても良い、という結論になるようでして。
それは例えば、「仕事が嫌になったらさっさと辞める」ですとか、「やりたい事が形にできない」といった様子で表れてくると。
そうか。安全地帯から頑張るのは難しいんだ。
そのように、ある種結論が見えて来ました、といったところで。
先日、私はこのような事を友人から言われました。
「お前さ、なんかいつも余裕無いよね」
「そうかな?」
「そんなに会社に問題があるんだったら、さっさと辞めれば良いのに」
今の会社にはビジネスがあって、商品の全貌を握っている私は、そのビジネスの中核におります。
それ相応の責任があり、守るべき社員もいます。そこから払われる給料で、今度は家庭を養っています。その給料は、私達で稼いだお金だという自覚があります。
やらないと、私だけではない、色々なものが死んでしまうんです。それを捨てるのにはですね。やはり、覚悟が要るのですよね。
Mr.Childrenの『hero』という歌に、『愛すべき沢山の人達が、僕を臆病者にかえてしまったんだ』という台詞がありますが、まさにそのような気持ちで。
「そうかねえ」と苦笑する事しかできなかったのですが。やはりその言葉にならって、さっさと会社を辞める事は中々……できませんね。
友人が言う言葉も、分からなくはないのですが。そこはやはり。
ということで、『何故、頑張るのか』という問い掛けに対しては、『頑張らないと死ぬから』という結論に達してしまった私ではあるのですが。
安全な場所であろうと全力を出せる方というのはですね、やはりすごい。尊敬の念を禁じ得ない、といったところで。
そういえば、スティーブ・ジョブズの言葉に「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定を本当に私はやりたいだろうか?」というのがありましたが。
この自分自身への問い掛けは、自分のやる気を出させるためのものでもあるのかもしれませんね。
もし今日が人生最後の日だったとしても……私はきっと、同じ生活をしていただろうと思います。
いやいや、まだ死ぬ訳にはいかないのですけれどもね。
お後がよろしいようで。
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