
特にインターネットが普及してからというもの、よく『出る杭は打たれる』のように、批判を受ける方々を目にするようになりましたね。
何事も控えめが正義だというように思う方もやはり、いらっしゃるという所でしょうか。大した功績もないのに、無駄に目立ってはいけないと。
私も色々な会社で『出る杭』になっては、言われておりました。「お前はもう、とりあえず黙ってろ」と。
偉そうだったのが良くなかったのですね。……今でも気を付けなければ。
しかし時は経ち、私が若い『出る杭』を見るようになった今。私はそれを、叩こうとは思いません。
確かに、そのように思われる方もいらっしゃるでしょう。特にそれが若者という事であれば、余計な事をして社会をかき乱すなと。偉そうだぞと。マナー違反だと。そのように思われるのかもしれません。
しかしですね。そのように叩かれ、『出ない杭』になってしまった若者がその後、どうなるのか。今回はひとつ、そのような記事を書かせて頂きたい。
『出ない杭』はですね。これがもう、困るんですよ。ええ、本当に。
私はこの数年、ひしひしと感じております。「頼む!! 出る杭になってくれ……!!」と。
『出ない杭』ってなんですか。
まず、ここでひとつ『出る杭は打たれる』という言葉について、調べてみたいと思います。1 才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
2 さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。
[補説]文化庁が発表した平成18年度「国語に関する世論調査」では、「出る杭は打たれる」を使う人が73.1パーセント、「出る釘は打たれる」を使う人が19.0パーセントという結果が出ている。
コトバンク(https://kotobank.jp/)より引用させて頂きました。
なるほど。1番はよくある嫉妬だとして……おそらくではありますが、出る杭を打ちたい方の想いは、2番に集約されているような気がしますね。
さし出た事をする人……と言うと、やはり中身が無いのに偉そうに行動する人、といった所でしょうか。
ということで、ここでは出る杭を、『薄っぺらい理想だけを掲げて、大した知識もなく爆走する人』と定義させて頂きたい。
言葉の解釈の問題はあるかと思いますので、前提としてそのように考えた記事であると。
沢山のベテランの中に颯爽と登場し、意見をする素人、『出る杭』。……そうなると確かに、打ちたくなりますね。
余計な事なのだと。そんな事はしなくても良い、と。そういう事ではないか。
それが社会的に問題のある、当人に害が及ぶ行為であれば。咎めるのもひとつ、ありかもしれません。
……しかし、単に出過ぎた真似をしているから、鬱陶しいから、邪魔だから、という理由で咎めてしまうと、これが良くないのではないかと思うものです。
何故かと申し上げますと、行動している当人には、それが『出過ぎた真似』だという事が分からないからです。
ならばそれは、本人が気付くまで見守ってあげたい。
永遠に気付かないかもしれませんが。……そこはやはり。
これはある程度断言できると思うのですが、『出過ぎた真似』だと理解していない方に『何故、出過ぎた真似なのか』という事を説いてもですね。十中八九、受け入れられません。
本人が体験していない、本人の想像の及ばない事は、話してもあまり理解されない事が多く……。
そうすると、どうなるのか。素直に言う事を聞く人ほど、『なんとなく空気を読もう』と努力しようとします。意味も理解できず、ただ怒られてしまう事を避けようとするのだと。
当人が理解していないけれども叩かれてしまった経験を通じて、人は臆病になって行ってしまいます。しかし、論理的に理解できていない事をうまく実行する事は、誰にとっても難しい。
そうして空気を読みすぎた結果、とにかく言われた事を忠実に実行しようとする若者が誕生すると。曰く、『出ない杭人間』が出来上がるのではないか。
私は、そう考えているのですが。
『出ない杭』は一見、良く見えるけれど……。
そこで、『素直に言う事を聞く人間。良いじゃないか』と思う方も、いらっしゃるかもしれないと思います。しかしですね。人の目を気にして、行動を抑制するように動いて来た人間。『出ない杭』には、以下のような問題が生じると思うのですよね。
・自分の意見が言えない。
意見には、大きく賛成派と反対派が存在する事を知っている。自分が意見する事によって、賛成派と反対派が生じるのが怖い。特に、反対派からの非難を受けたくない。
・新しい発想が生まれない。
自分から行動すると『出る杭は打たれる』現象になってしまうので、別の誰かが生み出した『価値のあるもの』に付いて行きたい。まっさらな新しい事には、可能な限りチャレンジしたくない。
・『ホウレンソウ』のタイミングが遅い。
中途半端な状況で報告・連絡・相談をすると、指摘されるかもしれないので怖い。仕事の中でも、成功の連絡はしようとするが、失敗の連絡は隠そうとする。結果、仕事のタスクが終わっているのかどうかも分からなくなる事が多い。
遂には、「何を考えているのか分からない」といった現象に陥ってしまう事も……これは、非常に多いのではないか。
そしてその根本的な原因は、さし出た事をして、それが咎められた事によって生まれたのではないかと。
出る杭が打たれてしまったから、このような生き方になったのではないか。
このままではまずい……!!
『出る杭をフォローする』ということを、これからしようと思います。
ある目標に対して知識がない時期、まだ事情が分からない内の努力や行動というものは……これは他人が見ると、大した実力もなく、薄っぺらい理想と信念だけで突き進む人、という風に見えてしまうものだと思います。
実際に対面して話を聞いても、「ああ、こいつ浅いなあ」と思う事も、やはりあるのではないでしょうか。
しかもそんな立場で分かる人、ベテランの目線に立とうとするものですから、もう上から目線で聞くに堪えない批判ばかりで、頭が痛くなる事もありましょう。
しかしですね。若いか老いているかは関係なく、新しい事にチャレンジする時はある程度、どうしてもそうなってしまうと思うのですよ。それはどのような世代だったとしても。
……態度が偉そうだというのは、少し癪に障るかもしれませんが。しかし、ここはひとつ、大人の態度でありたいなあと思います。
何しろどこに船を漕ぎ着ければ陸地に上がれるのか、それさえも分からないのですから。目に見える目標が地図ではなく『写真』だった、という事もあると思うのですよ。
だから、せめて行き先を知っている人と同じ目線に立ちたい。そのような思いから生まれる態度なのだと思います。
昨今、私は強く思います。
本当にベテランの立場なのだとすれば、それは出る杭を打つのではなく、より出られるようにフォローすべきではないか。
やがて失敗して、転んで逃げて行く人も居るかもしれませんが。道を閉ざしてしまえば、誰も成功できなくなってしまいます。
それで良いのか。
……ならば私は、若い芽を摘みたくないと思うものです。年齢ではなく、挑戦する人の立場として。
一回り以上も年下の、或いは学生から、「お前は分かってない」と偉そうに言われたとしても、決して揺らぐ事なく、にこにこと笑いながら人間性を認め、感情ではなく知識で指摘してくれる人。
そっちの方が格好良くないですか。
私はですね、その方向目指して邁進して行きたいと思う限りでございます。
しかしながら、一度『出ない杭』になってしまった方を再びチャレンジャーにするというのが、これが非常に難しい。
やはりですね、若者は挑戦と失敗をするべきだと思います。その根拠が限りなく不透明なものだったとしても、行動する事に意味があると。今では、そう思っております。
そして、世界はまだまだ分からない事、理解できない事で溢れています。
私としてもですね。様々な人に敬意を払いながらも、色々な事にチャレンジし。その中で無礼があれば謝罪し、それでも前に進んで行きたい。
『打たれても出る杭』になりたいと思うものです。
これからも様々な事に挑戦し、失敗もすれば成功もするかと思いますが。そんな失敗体験、成功体験を皆様と共有できれば、これは大変喜ばしい事ではないかと。
そのような事を考えながらですね。ふと私、今年に挑戦した事を振り返ってみましたよ。
- 簿記の勉強がしたい。→中途半端にリタイア。
- 英語が話せるようになりたい。→半年程で続かず。
- いい加減、小説を出版したい。→努力と結果が一致せず惨敗。
- 毎日ブログ更新→見れば分かる。
あれ……? 『出ようとして出られない杭』になろうとしている……。
お後がよろしいようで。
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