人生というものは大変に速いものでして、ふと休憩を入れたらもう7月中旬ですよと。私の半月は一体何だったのでしょうか。気を抜くと1分1秒など瞬時に通り過ぎてしまいますので、ちっとも気が抜けませんよ、ええ。
つい最近の事ではあるのですが、私の会社にも新しく若い方が入社されまして、その方が大変知識が深く、興味深い方だったものですから。むしろその方が知識を吸収していく様が面白い的な。そのように、第三者の立場から物事を眺めるというのもまた……などと言っていたら、月日が経ってしまいました、というからくりで。
精進せよ私よ。
そこでですね、やはりそのようにアグレッシブな方というものは、『面白いもの』というものに目がないのです。退屈な日常に刺激を与えてくれるモノを常に探していると。やはりこうなると、私は面白いものを提供しなければなるまいと。そのように、奮い立つところではあるのですが。
ふと思いました。ここは浅慮を語る場ですので、恥ずかしながらもどうでも良い話を掲げてしまいたいと。いっそ、そのような形でも良いのではないか。
『涼宮ハルヒの憂鬱』では、主人公であるキョン君の語り口が独特な一人称になっている事から注目度が増しましたが、やはり浅慮というものもまた、ふとすると面白い産物になるのではないかと。
御託は良いとして。
面白いものが当たるのか。
世の中に存在しているメディアや様々なコンテンツ。これらはですね、一様にして『そこに刺激があるから』こそ、人目を引いているものであるとも言い換えられるのではないか。そのように、私は考えているのですが。良い刺激、悪い刺激、様々なものがありますが、一概に言えることは『刺激がある』という事であると。仮に良い刺激――を、仮に感動的な物語としてベクトルを定めるとして――それだけが真実であれば、ホラー映画のような類のものは流行らないのではないか。
何より、人は驚き。と言いましても、本質的には身に危険のない、くだらない驚きを求めて、世界を彷徨っているのであります。おそらくは。
そうするとですね、やはり商品のタイトルというものは、最も人目を引くものでありますから、色々と考える訳です。小林製薬、すごいですよね。タイトルから既に面白い。
「あっ、小林製薬」というフレーズが既にキャッチーですよね。湯神くんもびっくり。
私には、そういった部分が欠けているのではないでしょうか。
今こそ、『面白いもの』について真に追求すべき時であると。
そして―ー……なるほど。面白いものとはつまり、ある種の驚きでもある、という事でしょうか。
そのような視点で世の中を見ているとですね、やはり自分には理解のできない刺激もあると。しかしそれがまた、千差万別で面白いのではないか。
この世は驚きではないか!!
……どうでしょう。
まあそれはよく分かりませんが、驚きがあるというのは良い意味で使われる事が多いですね。
では、面白いものは必ず当たるのか。
そこで、とにかく驚きを前面に出したものを、幾つも作ってみようと。そのように私は思い立ち、簡単な十本ほどの作品を作り、人に見て頂こうかと考えました。……しかし、それは実行されませんでした。
その作戦を実行するに当たり、手早く作品を見て貰えそうな何名かを思い浮かべた所、「絶対に個人差が激しくなる」というある種の確信があり、実行する所まで行かなかったのです。
おそらくそれは、十人そこらで統計が取れるような内容のものではないと。そうだとすれば、この研究方針では駄目だという事になってしまいます。
そこでふと、私は気付きました。
面白いものが当たるとして、面白いものは必ず当たる訳ではない。
それはやはり、とてもピンポイントであると。百人居る中で、そのうちの一人に支持され、他には支持されないものというのは、もしも百人しか人口が居なければ『当たった』とは言えないかもしれないのです。
百人中、五十人以上には支持されるものを作らなければならないと。そして―ーなるほど、これが『王道』と呼べるものなのではないか。
そのように気付きましたと、そういう事なのですが。
比較的、過半数以上の方々に驚いて頂かなければならないと。この商品は刺激があって、面白い、興味深いと――……しかし、出す前にその結果が見える事はありません。
つまり――『面白い』は、『確率』なのではないか。
そうだとすれば、話は早いです。その商品の方向性を幾つかのグループに分け、それが指示されるかどうかを試すことができる環境に身を置くのだと。そして、勝敗を繰り返しながら、過半数を獲得できる道を探せば良いのではないか。
これが、最も早く『商品を当てる』方法にも成り得るのでは。
……そんな事に気付いたのは実は結構前でして、私は自分の戦っている分野に関しては、ある程度の『商品を当てる』方向性というものを掴めて来たような気がいたしますが、未だこの道は果てしなく続いております。
やはりですね。出す前に結果が分からない以上、それは『確率』であり。『確率』であるからには、それは『百%』にはならないのです。
歯がゆい所ではないでしょうか。
『当たる』は『確率』である――……その路線が分かれば、次にやるべき事は見えて来るものだと思ってはおりますが、如何せんですね。失敗した時の事が怖くて、第一歩を踏み出せない方をよく見かけるように感じます。
確率とは、最初は低いものだと思います。何度も失敗していく中で、より確率が高まっていく方向性を模索したい。そのように動く事ができれば、既にクリエイティブになるための準備は整っているのではないかと。
私は、そのように考える所でございます。
しかしながら、既にある商品の中から最善を模索する方向になってしまいますと、それはやはり、どこかで見たようなものになってしまいますので。そうなると、その『刺激』はやはり、薄れていくのだと。
そこで私は、そのものを真似るのではなくてですね。要素を抽出するのだという事を、作戦として掲げさせて頂きたい。
真似るのではなく、その商品がどのような成分によって構成されているのか、原材料を暴き出すのです。
それは『研究』であり、まだ誰も踏み出した事のない第一歩を踏みしめるための貴重な武器にも成り得るのではないか。
ところで私、このような事を考えていたらですね、ふとある事に気付きました。
そうか――……嫁様がアイスに納豆をかけるのもまた、『刺激』か。
お後がよろしいようで。
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