浮遊する無名作家の浅慮

精神病・パニック障害。神経が太い方ではないと気付いた最近。

精神病・パニック障害。神経が太い方ではないと気付いた最近。

やはりですね、あまり正常ではないと。身体ではなく、心の方が。

人と出会うたび、意識もせずに緊張してしまう、という。楽しげに会話をしていたとしても、心の内側ではいつも、本当に楽しんで頂けているのかと、不安になってしまうと。

それだけならば良いのです。問題は、そこから先の方であると。

退屈に感じているだけでなく、不満を持たれてしまっていたらどうしよう。意味の無い場だと思われていたらどうしよう。私の不用意な発言をきっかけに噂が広まって、いつしか社会から外されてしまうのではないか。場合によっては怒りを覚えられて、背後を襲われてしまうのではないか。

常に、そのような不安が頭の中を巡っていると。これでは、仕事や趣味所の話ではありませんよ。

勿論現実には、そんな事はありません。根拠のない不安というものです。誰もそこまで私に興味を持っている訳ではないだろうし、むやみやたらと衝動的になる友人が居る訳でもない。

しかし、頭では分かっている事に、感情の方が付いて行かないのです。これは一体、どうしたものか。

自分がコントロールできる、親しい方は良いとして。特に、仕事で出会う顧客などは大変です。行動が予測できない人間=恐怖、となってしまい、勝手に心臓の鼓動が速くなってしまう。

なんでやねん。

……なるほど。これが、心の病気というものですか。私は今、嘗て体験した事のない、激しい想いに揺さ振られております。

このような事をブログに書いているのは、私と同じように今後苦しむ可能性のある方にですね、少しでも有益な情報をと。まるで実況のように連ねる事でですね、治療までの道程を公開できればと思っている節があるのですが。



 自分をコントロールするのが難しくなるとき。

これまでは、あまり自分の衝動(?)と言いますか、突発的に現れる感情を制御する事は、そう難しい事ではありませんでした。しかし今は、あまりそうではないと。

相変わらず怒りたくなるシーンはあまりないのですが、悲しみや恐怖の方向にはですね、これは抑えが利かなくなる事があります。

非常にネガティブになってしまうのですね。そして、そのレベルもこれはもはや、尋常ではないと。

とてもではないが、正常だとは思えないと。

具体的に、例を挙げて説明させて頂きたいと思います。

先日、とある友人とお話していた時にですね、ブログのお話になりまして。私のブログのURLをお話させて頂いた所、「あ、これ知ってる」と。そのようなお言葉を頂きまして。

普通、話してもいないブログの事などですね。知られていたとしたら、これは知名度が上がっていて良かったのだと、そう思う所ではないかと思うのですが。

その時にふと、私はこのように感じてしまったのですね。

殺されるのではないか、と。

いえ、殺されると言ってもですね、その友人に、という事ではありません。見ず知らずの誰かにふと、殺されてしまうような気がしたのですね。こうなると、もはや私の心臓は休まる事がないのです。

一体何故、そのような突拍子もない考えに支配されてしまうのか。

これは正直、自分でもよく分からないのです。

この話に限った事ではなく、身の周りの様々な会話の中でですね。何気無い一言の中で、思わず後ろを振り返ってしまうような恐怖を感じる事が少なくありません。

これは正に、蛇に睨まれた蛙ーー……ならぬ、帝愛に睨まれたカイジといった所でしょうか。

つまり、生きる事そのものが恐怖であると。



 漠然とした、得体の知れない恐怖。

やはりこれを、考え過ぎであるとか、馬鹿馬鹿しいといった事をですね、私も自分の事ながら、考えてしまうと。しかし、実際には有り得ないと自分に言い聞かせた所で、恐怖そのものが消える事はないと。

まるで、理性と感情が別々に動いているかのようです。

正直ですね、こうなってしまうと、ブログを書くのも怖いと。どこかで誰かに見られていて、それが悪い方向に働くかもしれないと。そうは言っても仕方がない事ですので、やはり書くのですが。

このままでは本当に、社会に出られなくなってしまうかもしれませんよ。

等と思いながらですね、何か改善策はないものかと。実行した所では、睡眠を長めに取ると、少しばかり良くなっているような気もいたします。これは、有益な情報でしょうか。

つまり、パニック障害とは常時、神経過敏になっている状態なのではないかと。

改めて、そのような事を考えるところで。

自分の想像が付かない状態になる事が、何より怖いと感じているようです。驚くような出来事があった時、やはり驚きよりも先に恐怖が立ってしまう。

そして、その恐怖には理由がないと。狐につままれたようではございますが、やはりどこを探してもですね、理由など見当たらず。

最近こそ、倒れてしまったり動けなくなったりといった事は少なくなりましたが……代わりにこのような事が起こるようでは、それもまた悩む所ですね。





話せば解決する事なのか、それとも時間が必要なのか。それは分かりませんが、何れにしても今のままでは良くない事は確かで。

少しばかり、気が急いてしまいますね。

もっと心にゆとりを持った生活を。私には今、ゆとり的成分が不足しているのかもしれません。

ゆとり的成分ってなんですか。

お後がよろしいようで。


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