またしてもよくあるお話で恐縮ではございますが、やはりですね、今回は『怒り』をテーマにして記事を書かなければならないと思い。
普段ボヘッと周囲を眺めているだけの私ではありますが、どうも最近、周囲の『怒り』についての価値観というものは難しいのだなあ、と思う事が多くなって来たなあ、とボヘッと考えている、といったところで。
怒り。難しい題材ではないでしょうか。『ひぐらしのなく頃に』では、ヒロインの竜宮レナが「嘘だッ!!」と叫ぶシーンがある事で有名ではございますが、あのようにですね、ズバーン!! と怒って終わりになる事は、現実世界では早々ないのではないか。
そのような側面がある一方では、怒りという感情は普段から気軽に使われるものであり、そして最もトラブルを招きやすい感情に成り得るのではないかと。
そのように私は考えています、といったところで。
これはですね、由々しき事態なのではないか。「クリリンのことかー!!」と叫んだ事で有名な孫悟空ではありますが、やはり我々もですね、怒りを新たなパワーに変換し、未来の超サイヤ人になる必要があるのでは。
どうでもいいですね。
もう、怒るしかない。
それは、ある日の事です。どうもですね、私の友人間で揉め事が発生してしまったようでして。ここでは仮にA氏としましょうか。友人のA氏は、更にその友人のBさんに対して、このような事を考えていたと。
・A氏の意見
演劇の練習で常日頃から、上から目線で話してくるBさんがいる。
その人は別に周りから認められている訳でもないし、何やら勝手に『自分は上手い』と勘違いをしているので、むしろ周囲からひんしゅくを買っているのだが、全くそれに気付く様子がない。
つい先日、私の演技にダメ出しをされたのだが、それもひどく見当違いで、腹が立つ。やっぱり一度、私は怒った方が良いのだろうか。
なるほど。難しい所ではないでしょうか。
やはりですね、Always自らの意見が最も正しいと考えていらっしゃるお方も、やはりAlways居るだろうと。やはりAlwaysであろうと。思うところで。
三丁目の夕日。
A氏の演技は上手いのでしょうか。やはり、周囲からひんしゅくを買っているBさんよりは上手いのでしょうか。しかしながら、それがどのように上手いのか、といった物差しを定義するのはですね、これは非常に難しい。
何しろ、周囲の評価というものはですね、流動的で感情的なものですから。当人達の努力がどのようなものであったとしても、それは学校のテストのようにですね、優劣をはっきりと付ける事が出来ないのです。
しかし、トラブルは起きてしまったと。A氏は非常に不快な思いをしており、Bさんは優越感に浸っている可能性もあると。
そこで、私はこのような考えを持ちました。
その意見が正当かどうか? Bさんの演技は上手いのか? A氏の『見当違いなダメ出し』という考えは正しいのか? ……という事はですね、むしろこの場では、全て隅に置いてしまっても構わないのではないか。
いっそ事実など、どうでも良いのではないか。(極論)
むしろ、快適なエアコンの下にでも置いておけば良いのではないかと。
議題に進みます。
ここで怒るのは、正解かどうか。
ただひとつ、はっきりと分かる真実がございます。それは、『Bさんは自分の演技が上手いと思っている』という部分です。
そして、この状況に対してA氏が怒るという事はですね、『Bさんに考えを改めて欲しい。自分は大して上手くないという事を、認めて欲しい』という意味に該当するのではないか。
これら2つの出来事を鑑みるとですね、もしこの状況で仮にA氏から怒られた場合、Bさんはこう思うのではないか、と思うのですよね。
(私は良かれと思ってA氏に助言をしたのに、なんか怒られたんだけど……!! あいつ、下手なくせに……!!)
……これでは、求めている結果は引き出せていないのではないか。
私はここに、非常に難しい問題があるのではないか、と感じるのです。
このようにですね。『怒り』という感情は自分にも相手にも、非常に強く伝わるのですよね。強い感情と冷静な思考というものは相反してしまいますから、『怒り』のパトスを受け取った方はですね、余計に自分や周囲の状況について、冷静に考えられなくなると。
そのような問題が、あるのではないか。
では、怒らないのだとすれば、A氏はどうすれば良いのか?
私はですね。これは、理路整然と話し、事情を共有する事ができない間柄であれば、Bさんを説得するのは不可能ではないかと思ってしまう、といったところで。
少なくとも、今のところは。そのように、私は考えますと。
怒りを受け入れられない。
やはりですね。どのような漫画やドラマ、映画などにおいてもですね、『怒り』というものは重要なシーンやクライマックスで利用される事が多いと。それ程に強い感情というものは、人の心を動かすのではないか。それだけに、様々な感情の中でですね。『怒り』そのものを受け入れられなくなってしまう方も、やはり多いのではないかと思うのです。
どうも、『怒られる』というのはですね。なんとなく恥ずかしい、みっともない、といったイメージが付き纏いますし、叱られるのは子供の仕事、つまり少し幼稚なイメージを持たれている方も多いようにお見受けしますと。
そこで、「お前はおかしい!」と言われれば、「いやお前がおかしい!」と反発するのは、もはや常識であろうと。
これが上下関係があるという事であれば、表面的には謝りはするが、内側では相手を非難しているという、悲しい構図が生まれてしまう原因にも成り兼ねないと。
これは怒られた時点で発生する事であり、あまり内容というものは関係して来なくなってしまうのですよね。
こうなると、怒る側も『相手に理解して頂く』という、当初の目的が達成できない事になってしまいます。怒られる側も、そもそも内容に関係無く反発している可能性があると。
しかもそれをですね、怒る側も怒られる側も、『私の理屈は正しい』と思ってやる訳ですから、これはもうしっちゃかめっちゃかであると。
やがて、怒り、怒られた方もまた怒り、お互いに怒りを胸に秘めながら討論した結果、『お互いに言っている事がおかしい』という、最悪の状況が訪れてしまう。そのような事もですね、実は結構日常的にあると思うのですね。
もはや、喋っているのは天王星人と冥王星人ではないか。
これは驚くべき事態。まさかのLose-Loseという、世にも悲しい結果になってしまうと。
なんとしても、これだけは回避しなければなりません。そこでですね、私としましては、以下の2つを対策として取り上げさせて頂きましょう。
1.怒りたい! と思った時、相手が怒りを受け入れてくれるかどうか吟味し、可能な限り適切な言葉で、相手に理解して貰えるように話す。
2.相手の怒りを買ってしまった! と思った時、まずはその『怒り』を呼んでしまった事に対して謝罪し、その上で相手がおかしいと思っている状況について聞く。
これを、怒りを押し殺して行う事ができればですね、相手の怒りも最小限に受けるだけで済みますし(それでもどうにもならない方も、やはりいらっしゃいますが)、また、未来の自分の成長に繋がるやもしれないのではないか。
これぞ、怒りを有効に殺す手段。生殺しではないか。
いえ、生クリームどら焼きが食べたい、という事ではなくてですね。
そもそも『怒られる』というのはですね。自分が未熟である時に発生するものであると。だから、子供のイメージが付き纏ってしまうのだと思うのですが。
何かに挑戦しようと考えた時、何事もレベル100から始める事はですね。これは不可能なのですね。誰もが未熟な状態からスタートせざるを得ないのではないか。
そうだとすれば、もはや『怒られる』事を過剰に避ける必要はないと。
怒られた時の対処の仕方で、未来は決まってくるのではないか。
怒る時も、また然り。
そのような事を考えながらですね。私はこれを達成できているのかと言えば、もう随分と長いこと、『怒る』ということそのものを止めてしまったなあと。そんな事に気付きまして。
色々な事に挑戦しているとですね、私のように少しズレている人間は、ただでさえ明後日の方向に努力してしまった結果、怒られて当然の振る舞いをしてしまうと言うのに。
私自身が怒りを露わにしてしまうようでは、思ってもいない所で他者から怒られてしまう事が多くなり、結果戦争になってしまうと。
しかも間違っているのは私だと。
やはり、そのような事が発生しやすくなってしまうと思うのですよね。
そこで、次なるステップです。自分が怒らないのは良いとして、『怒っていないのに、怒られているように感じてしまう人』への対策を、どのように行うか。
一人そのような事を考えていると、ある日ですね、怒る事もストレス解消であろう、と言われまして。そんな事ばかり考えているから、お前は胃炎だの過換気だの頭痛だのとやらかすんだ、と怒られてしまいまして。
怒られないように努力した結果、怒られてしまった……。
やはり、日々は楽しく生きたいものですね。
お後がよろしいようで。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
0 件のコメント :
コメントを投稿