浮遊する無名作家の浅慮

『権利を主張』、どこからしていいのでしょう?

『権利を主張』、どこからしていいのでしょう?

望み薄!? アーアァ!!

と、思わず某カウボーイ人形の台詞を思い出してしまう昨今、いかがお過ごしでしょうか。

やはりですね、3月の中頃にもなると、幾らか気温の方もですね、落ち着いて来たかと思いきや、ところがどっこい全然暖かくはなってくれませんね。

ところで、某玩具が主役の映画では、某カウボーイ人形の方がですね、ある日唐突に現れた宇宙飛行士の玩具を前にして、一瞬にして世界が変わってしまった、俺の人生絶望だ、と歌うシーンがあるのですが。

春になってですね、巷では、様々な事に挑戦し、あるいは脱落している人々の姿も垣間見る事ができますね。

そんな様子を見ているとですね、私はやはり、過去に起きた出来事を思わず思い出してしまいます、といったところで。



 曰く、「あの会社は俺のもんだ!」

時は去ること、数年前。私が友人とお酒を飲んでいるとですね、ある日友人が、こんな事を言ったのであります。

「今勤めている会社なんだけど、業績が上がったら給料を上げるって言っていたのに、ちっとも上がる気配がないんだ」

まあ、よくある話ではないかと思います。やはり、中小企業というものはですね。中々、会社の方針がはっきりと定まらない事も多々あるものなのでは。

彼はその会社の株を持っていなかったという事がありますので、やはりある日意見が変わり、社内の体制・方向性が変わってしまったとしてもですね、何かを意見する事はできないと。

私はン、アア……まあ、そんな事もあるよねえ、とですね、相槌を打っていたのですが。

そうするとですね、不意に彼が、こんな事を言い出すではありませんか。

「そもそも、あの会社の商品っていうのは全部俺が作ったものなんだよ。売っているのも俺。俺が居ることによって、あの会社が成り立っている。それなのに、この仕打ちはなくないか?」

……んー?

私は苦笑しながら、彼のお話を聞いていたのですが。

私の知る限りではですね、その彼というのは営業職でして、何か商品を作るスキルは無かったように思うのですね。しかし、彼の言い分では、会社の商品は彼のものだという。

「どうして、商品を自分で作ったと思うんだい?」

と、私がそのように問い掛けてみた所ですね。

「だって、そもそも発案したの俺だし。俺が作らせてるの。だからうちの商品、本来は全部俺のモンなんだよ」

……と、そのような返答が返って来まして。

私の知る限りではですね、別に彼はその会社の創業時のメンバーなどではなく、普通に就職活動をしてですね、就職されていたと思うのですが。

決して、商品を発案したのは彼ではないし、作ったのも彼ではない。しかし、彼はそれを『自分の商品』だという。

「だから俺、裁判起こそうと思っててさあ」

いや、それは流石にですね。勝てないと思いますよ、私は。

さて、このような現象からですね。一体どうして彼がそのような事を思うのかと、私はむしろ、そちらの方が気になってしまいまして。

しかしながら、どこまで行動に起こすのかといった事はさて置いてですね。このように、『誰かのモノを自分のモノだと主張する行為』というものはですね、日常的に起こっているのではないかと。発生しているのではないかと、そう思うのですね。



 『権利を主張』する人達。

そういえばですね、私は舞台演劇などをやっているのですが。そのように、グループで何かを作る事があるとですね、やはり著作権と言いますか、その作品は誰のもの? というお話がたびたび登場します。

それが『みんなのものだよ!』と言えれば、これ以上の事は無いと思うのですが。しかし、現実にはそうはならない事も多々あるのですね。

「あの脚本は俺が書いた!」

「メインの役者を努めたのは俺だ!」

「いやいや、演出家が一番偉い!」

そのような、醜……アグレッシブな論争が行われる事も、これは日常茶飯事ではないか。

むしろ、これこそが舞台演劇活動と言ってもですね、過言では……いや、それは流石に過言ですね。失礼いたしました。

まあ、このような事も頻繁にですね、起こるのです。

例えば私もですね、自分で脚本を考えて作っていた身ではあるのですが。まだ企画が走り出したばかりの頃はですね、やはり「この企画はどうだろうか」とミーティングを最初にするんですよね。

演出家・役者・脚本家、まあそれぞれのポジションに居る人達が、一同に介して会議を行うと。

そうするとですね、私が企画と脚本のプラン……つまりプロットですね。これを提出した時に、絶対一人はこういう事を言い出す方がいらっしゃるんですよ。

「何が面白いのかさっぱり分からない」

まあこれがいち読者ですとか、いち視聴者だった場合には、そんな事もあって良いと思いますが。

クリエイターの立場としてはですね、『その人が提供しようとしている面白さのポイントが理解できない』というのは、提供側にも勿論責任はありますが、理解する側にも難があるというのが、我々の団体の総意で決定している事ではあるのです。

面白さが分からないと言ってしまったら、もうそれはお手上げを意味すると。つまり、努力を放棄し、企画をおじゃんにする行為であると。

これをするのはですね、余程の事があった時だけという、暗黙のルールがございました。

勿論、面白さのポイントを検討した結果、『ちょっとこれはうちの作品として合わないよね……』という事が起こる可能性は、かなりあるのですけどね。

余談を挟みました。申し訳ない所で。

兎にも角にも、最初はそのようにですね、中々企画の趣旨と言いますか、ポイントが理解できない所からスタートして行きますので、当然ですね、企画を進めるのはポイントを理解している側、つまりメインスタッフとなる訳なのですが。

ところが、これが実際に公演をしてみると、中々に好評であると。

こうなった途端、つい先程まで「何が面白いのかさっぱり分からない」と言っていた方々がですね、ある日、「これは俺達の作品だ!」となる訳なのですね。

すごいケースでは、私はこんな事も言われた事がありますよ。

「確かにあの脚本を書いたのはお前かもしれないけれど、面白くなるように横から口出ししてあげたのは俺なんだから、イコール企画したのは俺で、だからあれは俺の作品って事で良いよね?」

いやいや……あなたね、口出ししたとは言いますけど、ずっと「面白くないよ」って言っていただけじゃないですか。最初から最後まで改善案を一緒に追求していたと言うならまだ理解もできますが、終始考えていたのは私だけで、そりゃあないでしょうよ。

それだけで作品の権利が主張出来ると仰るのであれば、これは恐ろしい事ですよ。

……と私は考えていたのですが、彼の主張からすれば、彼はこの作品に関わっていたと考えている、という事実がひとつ、あるのですよね。

むしろ、脚本を作ったのは自分だとまで思っていると。

何故でしょうか。

私は思いました。

この2つの現象は、非常に酷似しているのではないか。



 自分ではできない。→だから、人にやらせよう。

つまりですね。彼等の主張としては、『企画したのは自分である』という所を主張したいと。そういう事のようなのですよね。

しかしながら、企画・発案をしても、実際には作る技術がないと。そこで、自分は人を使って作らせているのだと言うのです。

曰く、お前が考えている事は初めから、俺も思い付いていたのだという。形にしたのが、お前だったというだけ。

どうも、そのような事を考えていらっしゃるようなのですが。

確かに、これが会社を経営する代表者ともなれば、人に作らせた自分の商品という事も、多々あるとは思います。

しかしながら、これは人材を雇用し仕事を任せるという、それ相応の『責任』を負っているからこそ出来る事でもあるのですよね。

もしも本当にそのように看板を背負いたいと仰るのであれば、始めから労働契約を結ぶなどですね、適切に人を雇用などして利用することを明示しなければなりませんし、きちんと企画を管理しなければなりません。

そうでないという事であれば、これはメイキングの方に参加していなければ。

特に、人が作っている商品や作品などはですね。それらが行き詰まった時にアイデアを出して、実際に自分で行動し、問題を解決して初めて、共同作業者になれるのではないか。

勿論、相手が共同作業者であると認めていた場合に限ります。

モノが完成した後で、いきなり横から出て来て看板を奪い取るような事をしてはならないと。

やはり、こうではないか。

しかしながら、創作スキルもなければ、責任を負う意思もないと。そうするとですね、これはもう、どうにかして「自分のものだよ!」と言い張る事でしか、その企画と自分の間に関連性を持たせる事ができない。

だから、自分が関わっている部分を探そう! となってしまうのではないでしょうか。

こうなると、『自分のもの』であるために必要な、対象物への『関連度』というものが、どんどんと下がって行ってしまいます。果ては、『少し口出しをした』程度で「あれは俺のものだ!」と言えるようになってしまうと。

そのような事が起こっているのではないか。

では、どこからが合格ラインなのでしょうか? 『権利を主張』して良いのは、どの程度関係してからなのでしょうか?

これは、難しい問題かもしれませんが……。少なくとも言えるのはですね、相応の仕事をしてからであると。それは、グループ内の理解のもと、進められなければならないと。







自分が作った会社、自分が作った商品、自分が作った作品。これらはですね、何も言わずとも当然のように自分のものである訳ですから、これをわざわざ『私のものです!』と言う必要は本来、無いはずなのですよね。

それを言わなければならなくなるのは、やはり他者が創作に関わっているからです。グループでしか作れないものは、その権利は段々とあやふやになっていってしまいます。

私もですね、モラルに反する権利の主張の仕方をしてはならないなと、これは改めて反省する所なのですが。

やはりきちんとですね、自分が対象物に対して、どれほど関わっていたのかという事を理解して、ですね。そのグループ内での貢献度というものが分かってくれば、モラルに適った線引きという事もですね、少しは解決が見えてくるのではないかと。

ひいては、それが報酬への理解にも繋がると。

私は、そのように考える所です。

だからこそですね、その会社・商品・企画・作品などが、どのようにして成り立っているのかという事をまず、理解してですね。

その上で、『もしも仮にこれを自分一人でやる事になったとしても、(人が居ない分、完成のレベルは落ちるかもしれないが)作ることができる』という状態にまでは、自分のスキルが上がり、それ相応の結果を出した所で。

初めて、「これは私が作った」と――私は、そう言うようにしよう。

今では、そのように考えております。

私としてはですね、今となっては何事においても、自分一人で作る事しかできないような状況ですので、あまりこういったトラブルは発生しなくなりましたが。

それでもですね。このような問題で悩まれている方は、まだまだ多いのではないかと思います。

自分のモノが奪われそうな時に、はっきりと権利を主張すること。これも大事かもしれませんが、一番大切なのはやはりですね、自分自身の技術だと思います。

それを理解し、更なる向上に勤めていけば。いつの日か、自然と解決される問題かもしれませんね。

お後がよろしいようで。


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