どうもどうも。こんな記事書いてないで、さっさと作品でも作りなさい。と言われそうですね。
バレンタインデーとホワイトデーも過ぎて、世間では慎ましやかなカップルが春だけに今後の展望など優雅に語っていそうな所、相も変わらず半分の人生を文章に注ぎ込んでおります。
もう半分は優しさでできているのでしょうか。鎮痛作用はありません。
いえ、ある意味では今後の展望など、優雅に語っているのかもしれないのです。語るだけなら自由というものではありませんか。かの有名な『アリとキリギリス』でもですね、冬を越す前のキリギリスは優雅な事を語っているのですよ。
そして冬を越せずにやられてしまうというのも、これは長い目で見れば、ある意味美味しいのではないでしょうか。
ある意味って何だ。
そんな昨今、これはやはり黙っていても仕方がないなどと思い、仕事は自分で掴みに行くものではないのかと。という事で、インターネットからも応募できる小説の新人賞などに応募させて頂こうかと考えもしたのですが、過去に一度も一次すら通っていない事を思い出しまして。
やはりもう少しだけ、腕立て伏せをするべきではないかと。ここは、レベル上げをするべきなのではないか。
そんなこんなで、もう20年以上、ポッポとコラッタを相手に奮闘している雰囲気。
20年以上、最初の草むら。オーキド博士も老衰するレベルではないか。サトシおじちゃん!
という訳でですね、やはりここは、新しい小説の企画など考えなければならないのではないかと。今考えている小説のプロットはまあ、追々考えて行く事として、ですね。
企画が終わっていないのに次に手を出すと、前の作品が途中で潰れてしまう可能性が大などとこれまでは考えておりましたが、そうも言っていられない状況なのではないか。
むしろ、これまで頑張って書いてきたのだから、付いて来てくれる方も居るのではないかと。
そんな事はありませんね。
ちゃんと小説は完結させましょう。
アイデンティティがない。生まれない。
そこでですね、何故私の作品というものが未だに日の目を見ないのか、その原因というものを追求して行きましょう、といったところなのですが。やはりですね、私は物語をつくる、という事にかけてはですね。舞台作品を通じて、青春を捨てるほどに勉強して来たという事があり。
ドラマに関しての理解というものはですね、これは中々にあるのではないか。などと自負しており。
そのように考えながらも、つい先日ですね、『お前の作品には独創性がない』などと突っ込まれたという事があり、一体私の青春は何だったのだろうかと小一時間程考えてみたと。
今、ここではないか。
よく考えてみれば、特にですね、青春を捨てようにも、青春らしい青春など無かったという、非常に残念な結論に辿り着いてしまい。
捨てる青春などなかった。
私もですね。恋愛作品などを読みながら、常日頃から「いつかは私にも、あの絵に描いたような大和撫子なるものが現れ、私に対して頬を染めてくれるのではないか」などと考えなかった事も無いのです。
しかし、私は悟りました。
私の前に訪れるとすれば、それは大和撫子ではなく、クロネコヤマトの宅急便であると。
引っ越しでもして、生活を変えろという事でしょうか。
一歩前!!
そしてですね、ハンマー投げの如く豪快にぶっ飛ばした結果、私の青春は元から無かった、という結論に辿り着いたと。
これではですね、やはり独創性というものは生まれないのではないか。独創性……つまり、アイデンティティという事でしょうか。イニシアチブとも言えますでしょうか。
しかしですね、アイデンティティ、つまり独創性、更に言えば個性などというものはですね、個性ある場所で努力して行かなければ、身に付かないものでもあるかもしれないのです。それはつまりですね。
例えば、ちびまる子ちゃんの世界に登場する人物が、全て永沢君だった時の事を想像してみてください。
そこに参加したとして、永沢君以外の何かになれるでしょうか。いや、なれない(反語)。
つまり、そういう事なのです。私は永沢的空間に身を染めすぎた結果、永沢君でしか無くなってしまったと。
いえ、永沢君が駄目だという話をしている訳ではなくてですね。
やはり、このような状況では個性など、生まれるべくも無いのではないか。
個性を手に入れるにはもっとこう、そうですね。マリオカートあるじゃないですか。あのように、重量級、中量級、軽量級のどれかに分類されるようなキャラクターで居なければならないのではないか。
そうだとすれば、やはり私は超軽量級であろうと。高校生の頃、ビル風に吹き飛ばされて2メートルくらい宙に浮いた記憶が蘇ります。
そこで、私は気付きました。
そうだ、個性を作ろう。
個性ってなんだ。
『僕のヒーローアカデミア』では、登場人物達が予め持っている能力をですね、『個性』と呼び、他作品と区別していた、という事がありますが。やはり、私の作品にもですね、このような『個性』たるべき『個性』なるものが必要になるのではないか。
という事は、やはりタイトルやあらすじにですね、もっと人目をひくような何かが無ければ、やはり手に取って頂けないのではないかと。
そこで、今私が書いている作品を思い返してみれば、こうですよ。
『(前略)あまりもの冒険譚!』
(前略)って一体何を略しているのか気にならないかい? といったような目的で名付けられたこのタイトルなんですが、正直全く関係の無い人から見たらですね、別に(前略)の所に入る文字が(アスタナシア)だろうが、(アナスタシア)だろうが、どうでも良いのではないか。何だったら、(ゴジラVSモスラ)でも良いかもしれないと。
『(ゴジラVSモスラ)あまりもの冒険譚!』
いけない。これでは何がなんだか分からなくなってしまうではないか。
という事でですね、このようなタイトルでは、特に人目を引かないという結論に達しました、という所で。
話の内容もですね、ファンタジーと言いますかRPGの基本原点に帰り、剣士は前衛、魔法使いは後衛であるといった常識から一歩抜け出し、全てを真逆にする、という事を成し遂げた作品ではあるのですが。
正直、それを興味深いあらすじに変えるという事がですね、どうにもできないと。
やはり、このままでは中身の面白さというものは分からず、手に取って頂けないのではないか。
そもそも中身はあるのだろうか。いや、ない(反語)。
それ程にですね、タイトルとあらすじというものは、個人の作品がいつでも公開できるインターネットの世界においてはですね、重要なものでもあると思うのです。誰も彼もがウン十万という作品の中から、自分の好みのものだけを手に取る訳には行かないであろうと。
そうだとすれば、やはりタイトルこそが最も重要である、と言っても過言ではないのではないか。
それがですね、私の作品は、「おっ、茶柱立った!」くらいの価値でしかないかもしれない訳なのです。むしろ、そちらのタイトルの方が面白いのかもしれない。
『おっ、茶柱立った冒険譚!』
などと、どうでもいい事を思わず考えてしまう、といったところで。
そして、未来を望む。
ところでですね、最近社員の文章力が上がらないのはお前のせいだ、などと社長から激励を受けている所なのですが。私はですね、この会社では別に文章家を名乗っている訳でもないのですが、何故か報告書やら何やらのチェックは私に回る事になってしまったのですね。
これはいけないと思い、一生懸命に修正して提出させて頂くのですが、その度にですね、やはり社長の厳しいチェックが入ります、といったところで。
「部下が報告できなかったら、くらげのボーナスから引くから」
ええっ……。マジですか。
別に上手く出来てもボーナス上がらないんですよね。それ、ただ減給したいだけではないですか。どうなんですか、そこの所。
しかも、別に私の部下でもなんでもない人までターゲットになっているんですが。どうなんでしょうか、そこの所。
詳しくお聞かせ願いたいと。
正直、私が人の文章についてチェックをさせて頂くなど、甘々も良い所ですので、正直役には立たないですよと伝えようかと思ったのですが。それをするとですね、そもそも私の給料自体が減額され兼ねない。
あれ。どの道減額ではないか。
という事で、またしても私のボーナスが減りそうです。
元から管理職とは思えない程、給料が低いのに……。
お後がよろしいようで。
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