先日、私がまたしても小説の事で悩んでいた時、嫁様とこのような話をさせて頂きました。
「少年漫画って昔から、アツいシーンみたいなものが一番勢いがあって、大事な部分だと思っていた所があるんだけれども」
「うんうん?」
「少し思ったんだ。中学時代に自分が少年漫画好きだった部分って、ただ戦って勝つっていうだけの話じゃなくてさ」
「うんうん」
「人生とか人間関係とか社会的にとか、まあ何でも良いんだけど、『世の中に不満』っていうのがあってさ。それが、『ぶっ飛ばされる』と。こうなのではないか」
「……ふあぁ」
「ごめんね。つまらないね」
どうやら、私はまたしてもつまらない話を嫁様にしてしまったようです。
いつもありがとう。こんな奴が旦那ですみません。
少年漫画における、『ザッ』
そのような話をしていると、不意に嫁様から興味深いお話が登場しまして。「少年漫画って、途中で飽きちゃって読めなくなるんだよねー」
「ああ、君はそうだよね」
「読むよ? うんうん、少年漫画めっちゃ読むよ。馬鹿にしないでくれる?」
「良いから、頑張らなくて良いから。君は変なものとナンセンスが好きで、メジャー所は大体嫌いだって知ってるから」
グロとホラーとB級ばかりが好きな訳ではないのだと、頑なに主張する嫁様。しかし、とうに趣味嗜好などばれている私には、まるで意味のない抵抗文句。
そのような事を笑いながら話していたのですが。
そんな二人が共通して面白いと思うものといえば、何故かこれは『弱虫ペダル』だったり『寄生獣』だったりした訳なんですが。複雑ですね。
そんな時、不意に嫁様が、面白い事を話してくれまして。
「少年漫画って、こう、『ザッ』ってやるじゃない。あれでなんか、冷めちゃうんだよねー」
『ザッ』……!!
なるほど。意味がわからないようで、はっきりわかる。ありますね、『ザッ』。あの、味方側の登場人物が横に並んで、決めポーズというか、やるやつですね。
○○戦隊ッ!! ……ジャー!!
の延長線みたいなやつですね。……あれ? 嫁様、あなた結構それ好きではありませんでしたか?
「『ドン』でもいいんだけど」
「海洋冒険ロマンね」
『ザッ』にもTPOがあるのではないか。
「いやなんか、意味のある『ザッ』だったらいいの。でも、なんかこれから敵と戦うぞー!! 『ザッ』!! ……っていうのはちょっと、冷めちゃう」ああ……!! ありますね、『ザッ』。もうなんか、『ザッ』の方が面白くて私はそれしか考えられませんよ。
やはり、これは新世紀における『ザッ』の有効性なるものを考える必要があるのではないか。
「意味のある『ザッ』って?」
「うーん。……ごめん、自分で言っててよくわかんない。ARuFaさんの『ザッ』は面白いよね」
「ああ。能力者のやつね」
あれは元々、反則級に面白いので仕方がないのでは。というかベクトルが違うのではないか。
うーむ……意味のある『ザッ』って、なんだろう?
そのような議題で嫁様と話していた所、これはですね、ただ敵と戦う前に『ザッ』するだけでは、本当の意味では『ザッ』の有効性なるものを活用できていないのではないか、という仮説が誕生しまして。
確かに、特に『ザッ』する必要のない所でも、少年漫画では『ザッ』しがち。これでは、せっかくの『ザッ』も『ザッ』としての役割を果たせない『ザッ』になってしまう、という事があるのではないか。
いえ、『ザッ』と言いたいだけではなく。
なるほど。『ザッ』にもTPOがある、という事ですか。
「強い敵を前にするだけじゃなくて、まあ緊張とか覚悟みたいなものを感じて、思わず立ち止まってしまって、『ザッ』とかなら良いって事だよね?」
「ああ、そうかもねー」
何か明確な意思を持って、立ち止まる理由がある場合にこそ、『ザッ』が本領発揮されるという事も、やはりあるのではないか。
という結論に至りました。
なるほど。何気なく見ていた少年漫画の『ザッ』ですが、これは新しい側面から見てみる必要がありそうです。
という訳で、私は暫し『ザッ』をいかに格好良く見せるかという研究に勤しんでみたいと思う所ではあるのですが。
具体的には、どのようにすれば『ザッ』を最大限利用できるのかというと、これは物語とも深く関係してくる所であり。シーンの構成というものを、もうひとつアレンジする必要が出てくるのではないか。
ふむ。物語の研究について、新しい方向性が見い出せそうですね。よしよし。
ところで、このような話をしていた嫁様ではあるのですが。彼女は、『仮面ライダー』なんかが結構好きで、よく観ていたりするのですが。
「あれの『ザッ』はどうなの?」
「役者の人が頑張ってるから良い」
それ違いますよ嫁様。子供の演劇を観に行くお母さんの視点ですよ多分。
お後がよろしいようで。
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