やはり、いつの日も世間の風当たりというものは中々に冷たいものでして。我々のように一念発起して何らかの成功を目指す、といったような人間にはですね、勝利の女神というものは、そう簡単には微笑んではくれない、といったところで。
つまりそれは、作品や商品を作って、それを成功させてみたいという願望を持つ人の事を指しており。このような方々は、世界中に溢れるほど居るのではないか。
作品や商品における成功と言いますと、やはりそれはより様々な方々の手に取っていただける、所謂『売れる』という状態を作り出す事こそ、成功なのではないかと私は考えているのですが。
出る杭は打たれるとはよく言ったもので、小説に描かれるような成功を目指して突き進む人間にはですね。その目指す目標に見合った高波というものが、これは必ず、夢という小さな小船に乗った我々に、襲いかかってまいります。
今回は、そんなおはなし。
小船とスキル。
この高波を越える為に、『思いの強さ』と『技術』が必要になるのではないかと、私は考えているのですが。小船の枠がしっかりとしていなければ、その高波によって船が壊れてしまうかもしれません。小船でも高波を越えていく技術がなければ、高波に抗えず、呑まれてしまう可能性もございます。
それ程に、『良い商品』『良い作品』を作るという事は、ハードルの高い事だと思うのです。
確かに、どんなぼろ船でもですね、『これは私が作ったのだから良いものだ』と言う事も出来ると思うのですね。しかし、実際にはそれを高波と競り合わせてみると、中々どうして、これが支持されないという現象が起こってしまう。
『良いと思っていたのは私だけだった』という、一般的には悲しいと言われる出来事も、やはり世の中には星の数ほどあるのではないか。
しかしですね。船がしっかりとしていて、高波を越えていく技術があったとしても。これを、作品や商品を『作れる』技術だと置き換えたとしてもですね、どうしても、目標に辿り着けない事は多いと思うのですね。
曰く、良いものを作っても、ある程度の支持は得られているのに『売れない』という現象が、これは同じくらい、様々な所で起こっていると。発生していると、そう私は考えている所なのです。
良い物でも売れない?
それは何故かという事で、私は最近、とてもそれを考えるのですが。もしも小船を持ち、目標に辿り着くための操縦スキルを持っていたとしてもですね。
目標がどこにあるのかが分からなければ、それは辿り着く事が難しいのではないか。
そう、技術や開発に寄ってしまった我々はつまり、『売る』為の技術を持っていないのではないか……!
簡単なことのようで、これが意外と難しい問題なのではないか、と私は考えるのです。何故なら我々は、目標に辿り着くための羅針盤を持っておりません。
未開の地であるため地図もなく、誰かから聞いた言葉や、実際に辿り着いた人達の言葉を借りてですね、どうにかしてその夢の島を目指そうとしているのです。
これが仮に海だとすると、いかに優秀な船乗りでもですね、やはり小船で旅立つ事は躊躇われるのではないか。
だって、目的の場所は無いかもしれないのです。
そのように、私は考えているのですが。
どうでも良いですが、考えていると言い過ぎではないでしょうか。
だからこそ、『売れる』事を達成するために、人の話や情報を使うのですが。成功までの地図を何度も何度も頭の中に思い描いては、実際に行動してみても、その場所に辿り着けない。
そうして、いつしか人々は諦めてしまう事も、やはりあるのではないか。
『夢』を諦める人達。
所詮、人の話など経験したその人にしか、100%の理解では無いものなのです。そう考えると、何度聞いた所でですね、実際にその人が、夢の島に辿り着いた瞬間というものを同じように見なければ、同じように辿り着く事はほぼ不可能だと言って良いでしょう。何故なら、この海はとてつもなく広く。360度、どこを見渡しても水平線なのです。
もはや、これでは島を発見する事すら難しいのではないか。
辿り着いたとしても、上陸する事が難しいかもしれません。
この状態こそがですね、『技術はあるのに売れない』という状態なのではないのかと、最近の私は考えているのですが。
そんな我々にもですね、やはりチャンスはあると思うのですね。
ここで、私はひとつ、せっかくこのような駄文を読んで下さる方々に、私が大切ではないのかと考える、ひとつのご提案をさせて頂きたい。
夢の島に辿り着いた人と、まったく同じように辿り着く事はですね。これは、実際に到着するまでの道程を立ち会わなければ、達成できない事かもしれません。
ですが、何も『まったく同じように』夢の島に辿り着く必要は、これは無いのではないか。
そのように、私は考えます。
何故なら、夢の島はもしかすると、幾つもあるかもしれないのです。私達一人一人にとって居心地の良い島が、どこかにあるかもしれないのです。
そう考えるとですね、夢の島に辿り着いた人達の言葉を借りる事はあっても、これをまったく同じように実行する必要は、無いのかもしれないと。
思い描いた夢の島までの地図が、人と同じである必要は、無いのではないか。
ただ、我々は『実際には辿り着かなかった』という根拠を元にして、次に辿り着くまでの道程を考える。これを楽しめるようになれば、何れは辿り着くのではないかと。
そのような、分かったような分からないような事を、ご提案させて頂きたい。
大切なのは、目標に辿り着くまでの『考える』というプロセスをですね、楽しむ事にあるのではないか。
そうする事によって、何れは目標に辿り着く事も可能であると。辿り着かなければ、それはエジソンが言う所の『1%のひらめき』が足りていないだけかもしれないのです。
しかし、『99%の努力』がなければ、『1%のひらめき』も無い可能性も、やはりこれはあるのではないかと。
結局、あるのかないのかどっちなんだと。
そんな話ではあるのですが。
卵が先か鶏が先かといった具合にですね、目標と成功、という漠然としたものはですね、これは考えれば考えるほどドツボにはまってしまうものだと思うのですね。
成功ってなんだ? 成功しているのかどうか? いや、していない気がする。では、どうすればいいのか?
そんな時、少し今の状況を遠くから立ってみた時に、『楽しんでいるか?』という事を、自分に投げ掛けてみるというのも、これはまた、ひとつの海洋冒険ロマンではないか。
そのような事を考えながら、ぶっちゃけこれはあんまり楽しくないなどと思い、しかし負けず嫌いな私はですね、まだ『成功』というものに、がむしゃらに手を伸ばしているような状況ではありますが。
もしかしたらこれもですね、或る意味では『楽しんでいる』のかもしれない、といったところで。
どうでもいいような話ではございましたが、最後まで読んで頂けたあなたは神ではないかと。
ここはひとつ、拝ませて頂きたい。
おおっ! 神よ!
……軽いな。
お後がよろしいようで。
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