浮遊する無名作家の浅慮

『全然大丈夫です』は誤用ではなかった、という話。

『全然大丈夫です』は誤用ではなかった、という話。



正しい日本語とはかくも難しく、特に文学というものにあまり触れて来なかった、例えるならばけしからん作家志望の私ではございますが。

つい最近ですね、またその無知すぎる一面が発揮されてしまいました、という事でして。

まあこのブログを見て頂いても分かる通りにですね、私の使用する日本語というものは、これはもはやアメージングな程に誤用がフェスティバルで、グローバルなセンセーショナルがエクストリーム・アイロニング状態であることが、お分かり頂けるのではないかと思うのですが。

今回お話させて頂きますのは、タイトルの通り、『全然』という言葉の使い方についてのお話です。

私はですね、『全然』という言葉は否定形について使われるものだ、という認識でおりまして。いつだったか調べ物をしていた時に覚えたのでしょう。

実際には、「全然キマらない」「全然マグロじゃない」「前前前世から僕は君を探し始めたよ」といった具合にですね、「全然~ない」という言葉を中心に、利用させて頂いておりました。

ところがですね。どうやら、この『全然』、「全然~ない」という使い方以外にも、全然あるそうなのです。



 『全然』は肯定の時にも使うらしい。

『全然』の肯定形として真っ先に思い浮かぶのは、やはりこれは「全然大丈夫」だと思うのですが。これは、『全然』を『とても』といったようなニュアンスで捉える事によって炸裂される言葉のイマジネーションですね。

若しくは、全然構わない、とすれば、これは「全然~ない」という形にも当て嵌まるよ、といったところで。

全然大丈夫という言葉は使ってはいけないという認識だったのですが、これは全然大丈夫と言った所で、全然大丈夫だそうで。
むしろ、日本語という言葉の自由度から鑑みても、全然大丈夫なのではないか。

『全然』という言葉が否定形にのみ利用されるよう意識され始めたのは、これは昭和20年代後半のお話だそうです。
それまでは、『全然』は肯定表現にも利用されていたそうな。

かの有名な夏目漱石も、「全然良いです」等と言うように表現されているとのことで。昔ながらの作家様は、特に否定・肯定において、『全然』という言葉を区別して使っているようではない、との事だそうです。

知りませんでした。いかに私が、言葉に注視せずに本を読んでいるのかという事が浮き彫りになってしまう、良い例ですね。

昭和20年代と言えば、江利チエミ氏の『テネシーワルツ』によって、日本にロカビリー・ブームが巻き起こされたりですね、ジャズ喫茶などの存在によって『ジャズ』が一躍有名になったりと、中々にナウなヤングにバカ受けな曲が生み出された時代ではないでしょうか。

『全然ない!』についても、もはやこれは曲と同様のインパクトがあったのではないかと。海外の文化と日本の文化が融合した結果、『全然』は『ない』に紐付けて利用するという、ひとつのルールが編み出されたのではないか。

むしろここは、銀座カンカン娘を観るべきではないか。



 しかしながら、まだまだ『全然大丈夫』は『全然大丈夫』ではない可能性も。

国語研究者の方に言わせてみれば、『全然~ない』などの否定形でしか『全然』を使えないというのは、もはや迷信であると言われているそうで。

確かに、これは使用してはいけないと誰が言った、という話のようなものでですね、実際に使われている、利用されている書物などもある以上、これを一概に『間違っている』とは言い難いのかもしれないのですね。

何しろ言葉というものは不透明なもので、その時の流行り廃りによって、これはがらりと表情を変えてしまう。

そんな事を言ったらですね、『超ウケる!』や『チョベリバ―』、『アレイアード!』などは日本語として通用するのですかと言われたら、中々に微妙な所ではないか。とも、言えてしまう訳であって。

少々極端な事はあるのかもしれませんが、つまり『全然~ない』という形が一般的になり、これは広まったという事実がある以上、正しいとも間違っているとも言えない事ではないかと思うのです。

ということは、『全然~ない』を一般的に使う、と思っている方が居るとすれば、その方の中ではそれが真実である可能性もまたある訳で、何れにしてもそのせいで気分を害される方がいらっしゃるのであるとすれば、これは使わない方が良いという可能性もまた、あるということです。

やはりこれは、言葉が今を生きるナマモノである以上、難しいところ。お互いの認識と共通項をうまく利用して、コミュニケーションを成立させていく以外に道はないのではないか。

かの有名なと言う程有名ではない、『魔導物語』に登場するシェゾ・ウィグイィも、「お前が欲しい……!」と全く目的の不明な言葉を喋ってしまった事によって、主人公のアルルに変態呼ばわりされる事になってしまいました。

これこそが、コミュニケーション上の代表的な問題であって。これもまた、『全然』に等しい対処がなされるべきではないか。

むしろ、ここは闇の剣で切り裂くべきではないか。



そのような事を考えながらも、やはり日本語というものは難しいという事を再確認した私ではありますが、少なくとも一般的と言える言葉の形をですね、これからも追求していきたいと思う所です。

やはり、分かり易く人に伝わる言葉こそが、ナイスな気分を鮮やかにグラフィティして、交友関係をジャスティス・再復活、いずれはユニバーサルな最高ラングエッジに変形するのではないかと。

そのような気合でですね、頑張りたいと思います。

……え? 何を言っているか全く分からない?

そんな馬鹿な。

お後がよろしいようで。


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