浮遊する無名作家の浅慮

怒りの圧倒的なパワーは、むしろ創作にこそぶつけるべきでは。

怒りの圧倒的なパワーは、むしろ創作にこそぶつけるべきでは。



さて、やたらとネガティブな意見の出やすい、『怒り』や『批判』といった感情についてですね。ふと気が付いた事がありましたので、こんな話をさせて頂ければと。

ネット上でもですね、やはり怒りや批判というものは、日常的に渦を巻いておりますね。あの有名な漫画『ワンピース』第一巻でもですね、主人公のモンキー・D・ルフィが樽に入って大渦に呑み込まれるといった描写があるのですが、まさにそれだと言えるほど、怒りの感情というものは大きなものではないかと思うのです。

「ああ、この場合泳げなくても同じか。泳げてもイミねーよ」といった具合にですね。

それ程に、怒りをコントロールするというのは難しい。

そして、その不満や憤りといった感情は、多くの場合、自分ではない他者に向かってぶつけられますよね。曰く、「間違っているのはあなただ」と言わんばかりの姿勢で、今の今まで何でも無かった筈の人が、突如として超攻撃態勢になってしまう。これは恐ろしい事ですよ。

それはまるでTウイルス。一度感染してしまうと、もう同種の人間を作らずにはいられない。そして、徹底的に相手を攻撃するだけの化物になってしまうのではないかと。

それこそが、「かゆ……うま……」なのではないか。

思わずそのような事を考えてしまうのですが、やはり怒りというのはですね、人にそれだけの事をさせてしまう力を持っている感情なのです。

一度抱えてしまうと、それは人に凄まじい活力と行動力を与えてしまいます。やはりそれは、一種の活性作用のようなものがあるのではないか。

怒りさえあれば、もはや人にも翼は生えるのではないか。

顔は真っ赤になるのではないか。

むしろ、怒りこそがレッドブルなのではないか。

そこで、私は昨今になって、怒りのパワーは何か別の事に利用できるのではないかという、一種の結論に至った訳なのでございますが。
一体何をどうやって、このネガティブな精神を利用するのかという。そのようなお話をさせて頂ければと思います。



 そもそも、何故『怒り』を感じるのかという。

さて、我々は何故怒りを感じるのかという、根本的な問題について考察しなければならないですね。

もちろん私は、心理学者のようなお偉い立場の人間ではないので、おそらく細かいお話を差し上げれば、間違っていたり不十分だったりといった事が露呈するのではないかと思いますので、ここはあくまでですね、『私が思う』という事を文頭に付けたかのような気持ちで、読んで頂ければと思うのですが。

怒りという感情はですね、やはりこれは、自分が不当な扱いを受けたのだと。それによって、自分に不利益が発生したのではないかと感じた時に、グオァッ!! と来る傾向にあると思うのですね。

不当な扱いを受けてもですね、不利益が発生したのでなければ、「この人は人種が違うんだな。もしくは、アウストラロピテクスなのだな」と納得できてしまう事があると思うのです。

町中で「俺のブーツにゃガラガラヘビイィィィィ!! ヒエエェェェェ!!」と叫んでいる人を見てもですね、怒りどころか恐怖しか感じないと思うのですが。

これが自分の家でやられていると、やはり怒りを感じてしまいますよね。

こういう事ではないか。

ということは、怒りというのは自分に対する不利益ではないかと。

そして、怒りを感じるもうひとつの要素として、『自分の力でどうにかできるかもしれない』と思う内容である、という条件が付くと思います。

これにより、例えば地下帝国で自分の命を握られている時に、「桃栗三年柿八年と早口で言え」と言われてもですね、従う以外に道はないのですが。
何でもない、クラスの隣の同級生に同じことを言われたら、「お前何言ってんの?」と言い返す事ができますね。

そんな事ではないか。

補足させて頂きますと、怒りというものは、自分の力でどうにかできるかもしれないのに、不当な扱いを受けて不利益が発生した出来事について、感じるものではないかと思うのですね。

なるほど、そういうことだったんですか。

どうなんでしょうか。



 人に対して怒りをぶつけると、それは多くの場合ループする、ということ。

恐れ多くもですね、怒りというものが、前述のような要素から発生する感情である、と仮定させて頂きますと、同時にあることが浮き彫りになって来るのですね。

それは、人に対して怒りをぶつけてしまうと、余計に問題が悪化する事が多い、という所なのですが。

人というのは難しいもので、例えば誰かに怒りを感じますよね。それは多くの場合、「どうにかできるはずだ!!」と思っている。まだ諦めていないから、怒るという行動に出るのですが。

どうにかできるはずだったのに、怒ってしまったことでどうにもならない事態を招いてしまう可能性があるのですね。

さて、ここで怒りを受け取る側の人について、考えてみるとしましょう。

怒りを受け取る側の人というのはですね、これから怒られるという事に関して、何も準備ができていない事の方が多いと思うのですね。
自分が悪いとは欠片も思っていない状態で、「ヒエエエェェェ!!」とされてしまうと。

すると、どうなるか。自分は何も悪い事をしていないのに、『不当な扱いを受けて、自分は怒られるという不利益をもたらされてしまった』と、こうなると思うのですね。

さて、これは怒っている対象をどうにか収める事で、解決することができそうです。『まだ、どうにかできる』というわけですね。

ということで、今度は怒られた側の人が、逆に怒った人に対して怒り始めてしまうと。

怒りの三段活用という訳ですね。ここ、テストに出ません。

怒りを見せ始めながらも、内側では『どうにかできる筈だアァァァ!!』『まだどうにかできる筈だアァァァ!!』と、これは謎のポジティブシンキングを発揮してしまうと。

そしてお互いに、謎のポジティブシンキング同士で言い合いを始めてしまう。『だアアァァァ!!』『だアアァァァ!!』と。

そうする事によって、周囲の人達も「そうだそうだ!!」となり、どちらかに付くと。こうして、戦争が始まってしまうという訳なのです。

これは最も良くないループなのではないか。

競技ヨーヨーにはダブルループという技がありますが、むしろこれはシュートザムーンを失敗して顔面に当たってしまったのではないか。それは技というより、ただの自爆ではないか。

という状況に陥ってしまう問題があるのです。



 怒りは、創作にぶつけよう。

そこでですね、私の考えとしましては、この怒りの生み出す絶大なエネルギーというものを、自身の創作なり活動なりに当ててしまう、というのはいかがだろうかと。

怒りのエネルギーというものは凄まじいもので、他の人が2ヵ月掛かっていた仕事が、僅か4時間で終わってしまったりですね。集中力が高まり過ぎる事によって新たなアイデアが湧き出て来たリ、得体の知れない独り言を呟いたりする。

せっかくこれだけのエネルギーがあるのですから、それをですね、ご自身の今成し遂げたい事にぶつけてしまって、無から有を生み出そうというのが、おそらく最も有効な『怒り』という感情の使い方なのではないかと、私は思うのです。

そして、得体の知れない独り言を呟いたりですね。

呟きと言えばTwitterですが、得体の知れない呟きはもはやTwitterと言うよりも、ただのぼやきではないかと。

それは或る意味で、Boyatterではないか。

実際私は、何か怒りのエネルギーが生み出せそうな時は、それを抑え込むと言うよりもむしろ引き出してですね、物事の集中力に当てるということがよくあります。

これをする事によって、通常の状態の何倍ものスピードとクオリティを両立させることができるのですよ。

是非、お試し頂きたい。イタ飯頂きたい。






ただし、周囲からは唐突に怖い人になってしまったと映るようで。特に会話などしていなくても、その緊張感や緊迫感といったものが伝わってしまうようですね。

私も知り合いがある日突然に、キレる系芸人になってしまうのを見るのは忍びないだろうと思いますので、その点については気を付けたいと思っております。

しかし、キレるという言葉はどうにもキレが良すぎて、怒りのエネルギーを表現するには中々、キレのある言葉ですね。

これはむしろ、切れ痔ではないか。

どうでもいいですね。

お後がよろしいようで。


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