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色んな人が読みますよね。 |
誰にも見てもらえないのは、悲しい。でも、アクセス数が集まったら集まったで、誰かに叩かれるのではないかと思えてしまって、今度は不安で仕方がない。
今回は私と一緒に、そんな悩みを解決していきましょう!
……と言っても、まだ仮説なんですけどね。
ようやく最近になって、仮説として持っていた内容が真実ではないかと思えて来たので、今回はそんな話をしたいと思います。
あ、でも鵜呑みにはしないでね!
さて、上記のような悩みは、誰に見られるか分からない――読者層が想定できない時に、発生するものです。
始めて間もない頃は、自分が書いたこの文章に対し、どんな人がアクセスをして、どんな人が読者になるのか、想定できないものですよね。
このブログも、日々試行錯誤して進んでおります。
文章を書いて何かを表現をしようと思うと、必ず、ある問題に突き当たることになります。
それは、読者はどの辺りを想定するのか、ということ。
長い事、ターゲットを漠然と定めて作品を書いてきましたが、段々とアクセスの集まるもの・集まらないものを分けて考えられるようになり。
その中で、『読者層』というのは4パターンに分けて想定すると、文章を書くことがグッと楽になる、という事が分かって来ました。
これは、どんな文章を書く時にも変わりません。小説だろうがブログだろうがプレゼンテーションだろうが、似たようなものだと考える事ができます。
似たようなものだと考える事ができると気付いたのは、最近の話ですけどね。
つまり、それ位に大きな枠で想定するべき、という事でもありますね。
ミクロな戦略とマクロな戦略は、混在していなければならないのだ。
ここでは、読者=ユーザとして、二つの方向性に分けて考えていきたいと思います。
横軸:ユーザが『文章に期待している価値』という方向性。
まず最初に登場するのは、ユーザが『その文章に対して何を求めるか』という方向性です。勿論、題材によって様々だとは思いますが、どんな題材であっても、その人がどのようなスタンスで文章に挑んでいるかによって、求めているものはどちらかに振れることになります。
- 論理的な価値……知識的な情報を求めている。左脳で理解できる情報を期待して、訪れている場合。
- 感情的な価値……感動・驚き・怒り・悲しみなどの自身に起こる変化を期待して、訪れている場合。
その人が論理的な考え方に寄るのか、感情的な考え方に寄るのか、という話でもありますね。本人が無意識のうちに期待している事もありますので。
こちらは、ある程度は情報発信の仕方を工夫することで、意図的に左右させる事ができます。
そして、この二つは相反する両極として考える事ができます。そのどちらも人次第ではありますが、一つの情報に二つを期待することは難しいので。
縦軸:ユーザと、その文章に対する相性。『文章把握率』。
さて、どんな文章であっても、そのユーザにとって理解できる内容であるのか、理解できない内容であるのかというのは、相性に左右されます。馴染みの深い言葉ばかりで構成されている場合は理解度が高く、文章把握率が高いと考える事ができます。
逆に、知らない言葉ばかりの場合や、簡素すぎて説明が足りていない場合は、文章把握率が低くなります。
そして、ユーザ自身がどこまで文章を読む気があるかという問題も、これに関わってきます。
『タイトルしか読まない』『文章半ばでリタイア』なんていうのも、文章把握率が低い方に転がってきます。
こちらは、発信者が左右させる事は基本的にできません。簡単な言葉を使えば広い人に当たりますが、論理的理解からは遠ざかる事が多いです。
ユーザの『発言率』。
さて、小難しい事を言っていても中々理解できない部分があると思いますので、図にしてみたいと思います。マトリクスにした場合、以下のようになりますね。
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BCGマトリクスを思い出しますね。 |
読者が現れると、この中の何処かに当てはまる事になります。
読者が増えて不安になるのは、この中で誰が文句を言ってくるのかと、そういう話ですよね。
これを読者のモデルだと考えた場合、どんなユーザが発言を公開して来るか。
仮に『発言率』と呼ぶとして、私は長い事、この発言率は以下のような図になると考えておりました。
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感情的になるためには、文章への理解が必要だと考えていた。 |
つまり、感情的に文章を読み、把握率が高いほど、発言率が高いのではないか。
この図だと、論理的な理解度が高い人間も、それなりに発言してくれる事になります。
だから、内容次第では良い発言が表に出て来る事も多いのではないか。
ところが、恐らくこの仮定は違うと、様々な文章の反響を見ていて悟りました。
どうしてかと言うと、論理的理解をした人がほとんど全く発言してくれない、と気付きまして。
どれだけメッセージ性が強く、役に立つ内容であっても、よく分かっている筈の人達は『なるほど分かった』『なるほど面白い』と言ってくれないんです。
そして、気付きました。
私も多分、『なるほど面白いです』とは(自分が問題定義している立場でもなければ)、中々、言わないだろうと。
実際はたぶん、こう。
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理解していなくても発言するだと? けしからん! ……でも、多分これが本音。 |
感情的に文章を読み、把握率が低いほど、発言率が高い。こうではないかと考えられるサンプルが、多数得られました。
現在、インターネット上には沢山の記事があり、それらのまとめサイトも多数ありますが、特にデータを取る気が無くても、肯定意見ばかりが書いてある情報は、驚くほど少ないという事が分かります。
そして、短い反応をする人の多くは何故か、中の文章をちゃんと読んでいなかったり。読んでいても、結果として文章把握率が低かったりする。
だから、インターネットって荒れてばっかりなんだろう。そんな結論に達しました。
タイトルしか見ない・第三者の発言しか見ないというのは、文章把握率なんてものは限りなくゼロに近い。
そんな状態でも、むしろ積極的に、人は発言するみたいですね。
いや、だからこそ発言すると言うべきなのか。何か感想を発言するために文章を読んでいるから、早く発言したくて、文章をちゃんと読んでいない。そんな矛盾が起きているのでしょうか。
逆に、論理的思考で文章を読む人ほど、「なるほど分かった」となり、発言しない傾向にある。その人は発言するために訪れている訳ではないので、納得して去って行くというわけですね。
そうか、だからサイレント・マジョリティーを大切にしよう、なんて言われるんだ。この図だと、良い情報なら発言する人そのものが少数派になるからか。
……なんて、一人で納得してしまいました。
こう考えると、オモテに出て来る評価は必然的に反対意見ばかりが現れる事になり、その背後で大多数が納得している、という(ちょっと変な)状況が生まれることになります。
今は、こんな仮定を持ち、実際に検証しているような段階です。
これなら見えている意見なんて、全く気にする必要は無さそうですけどね。
ちゃんと有用であり、楽しむことができ、論理的に辻褄の合った意見を出し続けていれば、ノイジー・マイノリティが増える一方で、サイレント・マジョリティーは倍々に増えていくというわけです。
もちろん、誰の目にも有用でない・面白くない場合は、その限りではありませんが……。
……しかし、私にはこの『読者層・4つのパターン』が見えて来た時、『これは使える!』と言いたくなるような作戦を思い付いてしまいました。
現在、作品の方で実践中ではあるのですが、これを機に、このブログもこれまでの内容から大幅に方向転換し、別の方向へと向かって行こうと考えております。
題して、ノイジー・マイノリティを味方に付け、かつサイレント・マジョリティーを増やす方法。
もしも上手く行ったら、その時にでもまた、その作戦を記事にしようと思っています。
ってことは、記事にならなかったら失敗したってことだね。
それでは、今回はこんなところで。
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