さて、勝負事というものはお好きでしょうか。
私と言えばですね、思えば小学校に通っている時期からハマったものと言えばポケモンバトルにカードゲーム、その後は『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズにハマり、囲碁に麻雀、格闘ゲームにのど自慢大会。
勝ち負けの付くものばかりをやって来ておりました。
あ、のど自慢大会は勝ち負け付きませんね。
仕事ひとつ取っても、そこそこ大きな中小企業を一年で退職したかと思えば、吹けば飛ぶような状態の会社に入り。赤字を背負いつつも、どうにか逆転の方法を考えるべきではないかと。
わざわざ敵陣に自ら乗り込んで「今日会社休みます!」と言うようなですね。そんな人生を送ってきた訳でございます。
今ではFXにも手を出し、劇団を作ってですね、やれ、これは祭の始まりであると、xxx万円飛ばしたりですね。
小説などは、未だに目立つ実績など何も残せていないのですが。それでも、20年以上書き続けているという。
文章ハウツーについて、まだ読んでいない本があるようであれば、むしろ教えてくれないかという位に時間が経ってしまい。いえ、多分意外と多いと思いますので、やっぱり教えないで頂きたい。
そこで、私は思うのです。
私こそ、負ける事、すなわち敗者のエキスパートではないか。
むしろ、私こそが歯医者ではないか。
もちろん、そんなことはありません。
しかしながら、やはり勝てるようになった事もあるものです。長い時間を掛ければですね、否が応でも分かる事というものがありまして。それを踏まえた上でですね、私はこんなテーマを掲げたい。
負けない心を持つために、『負けない』を諦めるべきではないか。
冒頭の意味の分からないタイトルについて。

実に不思議なもので、これを意識し始めた時からですね、私の人生は好転を始めているような気がしてなりません。
よく覚えていませんか、過去の偉人がこんな事を言っていたような気がしますね。それで、覚えているのかもしれません。
いや、もはや私こそが過去の偉人なのではないか。
少なくとも偉人ではないと思いますので、ここは『過去の人』と変えさせて頂きましょう。
あれ、死んでしまいました。
それは良いとして。やっぱり人間、負けたり失敗したり、というのは悔しいものですよね。
自分が全力を尽くした上で、やっぱり敗北してしまう。そんな事は何かで争っているとよくある事で、そこで私達は、「俺はまだ本気を出していないだけだ」と強がってみたりもしますね。
50%くらいか……。と、自分の中にある謎の本気パワーを信じてみたりもするものです。
しかしながら。どうしても、勝ちたい。
負けている時の心境というものは、このような状況ではないでしょうか。
もう、負けたくない。負けが込めば込むほど、もう負けたくない。今まで負けてきたのだから、次くらいは勝てても良いのではないか。
しかし、そんな感情を抱いている時こそ、人は負けてしまうものです。
傷付き、止めてしまう事もあるでしょう。自分の心のうちを、誰かに聞いて頂きたい時もあるでしょう。
だからこそ、「もう負けたくない」の代わりに、私はこんな事を考えて頂きたいと思うのです。
次はどうやって、負けに行こう。
これはですね、『成功』に結び付く為にはある程度の試行回数をこなさなければならない、という所に由来する考え方だと思うのですが。
私がこれまでに見て来た、途中で諦めてしまう方というのはですね、決して心が弱い訳ではないと思うのですね。負けに負けが込んでしまい、もうどうにもならなくなって、「やはり、私には向いていないのではないか」と思ってしまう。
向いていないから、これには手を出さないべきではないか。
手を出すのは、コンビニコーヒーを受け取る時だけで十分なのではないのかと。
しかし、ここで諦めないで頂きたいのです。
その負けを無駄にしない為に、是非、続けて頂きたいと。
コンビニコーヒーは受け取りに行っても良いのではないかとも思いますが。やはり、それだけではなく。
『負けない』勝負事なんてないんです。

例えるならば、それはロト6で勇者ロトを引き当てる位の確率ではないか。
むしろ、奇跡とは勇者ロトではないか。
何故なら、ギャンブルが確率論である以上、勝ち続けられる確率というのは、回数をこなす上でどんどん下がっていくのです。
今日勝っても明日負けても、次に勝てる確率は同じですが。これをこの先10回やりますとなると、事情が変わってくる、という事なんですね。
コインの表裏を連続1回当てるのはそんなに難しい事ではありませんが、連続100回当てるとなると。
マリオが1upする事が、お分かり頂けるのではないか。
特にパチンコやスロットなどは、店に収益が上がるように計算されて作られているものです。ということは、大多数は負けてしまう、という事なんですね。
普通に適当に台へと座って、連続で勝ち続けられるとすれば、それは勇者ロトではないか。
しかしながら、私は思うのです。
これは、ギャンブルに限った話ではないと。
どのようなゲームでも、ゲームとは、マスターが有利な事が多いのですね。マスターというのは指を鳴らして紅茶を頼む人の事ではなく、親と子の事なのですが。
それがカジノであるとすれば、馴染みは薄いかもしれません。
しかし、株式会社ともなれば、いかがでしょうか。
そもそも会社というのはですね、経営者や株主の方がルールを支配し、その下で社員が生み出したものを、外に出して利益を得ているのですね。その利益というのは社員ではなく、まず経営者や株主の方に渡るようになっている、ということだと思うのですね。
ギャンブルというのはですね、マスターがルールを支配し、その下で子が参加してくる事によって、利益を得ているのですね。その利益というのは子ではなく、まずマスターに渡るようになっている、ということだと思うのですね。
或る意味では、この2つは同じとも言えるのではないか。
むしろ、クライアント・サーバーシステムではないか。
しかし、我々は多くの場合、子の方におります。ならば、子でありながらもルールに背き、ルールを利用し、利益を得られるようにしなければ、『勝ち』は見付からないのではないか。
これをどうしたものかと、思わず悩んでしまいます。
さて、どうやって『勝ち』に行こう。

勝利を掴むために必要なのはですね、まず、勝利するためのストーリーを構築することではないかと思うのです。
勝利するためのストーリーとは、例えば孫子の兵法には、敵を知り、己を知れば、百戦危うからず、という言葉がありますね。
いえ決して、某電話通信会社の方の事ではなく。
マスターを、ルールを知り、私の立場を知ることができれば、百戦は危うくないのではないか。
むしろ、白兵戦も妖かしの力でどうにかなるのではないか。
しかし、我々はルールを知らされておりません。ということは、このルールというものはですね、自らの力を持ってして、見付け出さなければならない、という事になると思うのですね。
そこで、冒頭でお話させて頂いた。
『成功』に結び付く為には、ある程度の試行回数をこなさなければならない。
というお話を再度、登場させて頂く次第なのですが。
まだルールを知らない我々が勝とうと思ったらですね、これは簡単な事ではないのですね。
マスターなのにルールを教えてくれないという、なんとも不親切なのが世の中ではないかと思ってしまうものですから、これを克服するためには、もはや負けながらルールを見付けていくしかないと。
負けることで見えてくるルールを頭の中に作り出す。これこそが、敵を知り己を知るための、最短の道ではないか。
やはり、負ける事こそが成功ではないか。
例えばですね、私は会社に入った時、まず顧客と商品と、その流通ルートを意識して見るようにし始めました。
そうする事によって、どのような商品が、何故、その顧客に売れているのか。どこに売れているのか。そういった事が分かるようになると。
そして、その商品の根本にあるものを、作る技術というものを身に付けるようにいたしました。
そうなれば、もしこの会社に何かがあったとしても、自分の能力を外に売れるかもしれないし、自分で会社と起こすこともできるかもしれないのではないか。
それは何もせずに言われた通り働くよりも、或る意味では成功とも、勝利とも言えるのではないかと。
しのぎを削って戦っている身としてはですね、相手も当然ながら、自分のウィークポイントというものは知られたくないのですね。なので、それをどうにかして、透明人間になったりスパイダーマンになったりして、隠そうとする。
糸を吐くことができれば、急所を隠すこともまた、できるのではないか。
相手としては、そのような心境でいると思うのですね。
そこで我々としては、その糸をどうにかして潜り抜け、ルールの急所を見付けてやらなければならないと。
トレジャーハントは楽ではありませんが、見付けた空箱の中にも、『誰かがその宝を取っていった』という結果がひとつ、あるのではないか。
その結果を統合して、最終的な宝の在り処を見付けなければならないと。
ワンピースという漫画で、ガイモンという登場人物が、宝箱を見て言っていましたね。
無いんだろう、中身が。
我々のスタートは、そこかもしれないと思うのですね。
『負けない』を諦める、ということは。

勝つためには、成功するまでのストーリーを作らなければなりません。
しかし、この『成功のためのルール』は言葉にされておらず、分からない事が多いかと思います。
何より、自分だけのものである可能性もあると。成功のための道は、ひとつでは無いのかもしれないと。
むしろ、茨道こそが成功ではないか。
成功するためのストーリーを構築するには、『ルール』そのものを事前に『やはり、こうではないか』と仮定することがまず、大事だと思うのですね。
そして、出た結果から……おそらく、負けてしまうのではないかとは思うのですが……その中から、『成功していると感じた要素』と『失敗していると感じた要素』を分類すると良いのではないか。
そうした中で、それらの結果の中から、成功のためのルールを作って行けば良いのではないかと。
まるで我々は研究者。真なる道を探求することを興味とする、これは科学的なアプローチではないでしょうか。
水素も火をつければ爆発するのだと。
むしろ、成功とは爆発ではないか。
いつの時代も研究者は、そこにあるルールを『実際の結果』からしか肯定する事が出来ませんでしたね。
地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスも、人は空を飛べると仮定したライト兄弟も、大変残念ながら、実際に結果を出すまでは、その理屈は肯定されませんでした。
いえ、むしろ、後ろ指をさされる事も多かったのではないかと思います。
「お前、人が空飛べるとかマジで思ってんの!? ウッヒョオオォゥ!! アイキャンフライ!!」といった具合に。
しかし、これを達成しようと思うと、それは莫大な『負けた数』が必要になってしまいますね。
ということで、成功するためには、失敗しなければいけないと。
負けない心を持つために、『負けない』を諦めるべきではないか。
などと、私は思うのです。
さて、わかったような、わからないような話をしてしまった私ではありますが。
未だに次なる成功への道を模索して、努力を続けている日々でございます。
それは、そう簡単な事ではないとも分かってはおりますが。足を挫いて歩けなくなってしまう方も多い昨今、この平均台のように細長く不安定な道をですね、少しでも前に進められる方が増えてくれればと、このような記事を書かせて頂いた次第でございます。
負けが込んでしまって、今、不安な方が、少しでも前に進めれば良いなと願うばかりです。
お後がよろしいようで。
長尾一洋(著)、久米礼華(まんが)
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