浮遊する無名作家の浅慮

『聲の形』を映画ではなくて、漫画でも読んだ方が良い理由。

『聲の形』を映画ではなくて、漫画でも読んだ方が良い理由。
映画『聲の形』公式サイト(http://koenokatachi-movie.com)より引用させて頂きました。



映画『聲の形』、結構好評みたいですね。

私も公開初日とはいきませんでしたが、ある程度時間に余裕ができたところで観に行きました。
京都アニメーションといえば、美しく、原作を忠実に再現する作画で有名ですよね。
観ながら、「すげえなあ…………」と、感嘆の吐息を漏らしてしまいました。

しかしですね、映画そのものにケチを付ける気は全く無くて、むしろよくできてるなーと思ったのですが。
映画で興味を持った方には、やはり原作を読んで貰いたいなあ、なんて思うのです。

原作大事です。

以下、理由を述べたいと思います。
主観が多いに混じっており、めっちゃどうでも良い事かもしれないので、暇な人だけ読んでね!



 『聲の形』は、話の構造が主役の漫画であること。

個人的な感想、浅慮である事は、重々承知の上で、ですね。

これは間違いなくそうだと確信しているのですが、『聲の形』って、語り出し~ラストまでのシーン構成がほぼパーフェクトに近いレベルで煮詰められていて、話の長さ、台詞、必要な登場人物などなど、細部まで計算されて作られているんですよ。これプロット無しで書いていたとしたら、作者は天才だと思う。

以前、そんな事をこのブログでも書かせて頂きましたね。



最近はこういったストーリー構成の巧い作者様がとても増えていてすごいなあ、と思うばかりですが。その中でも、群を抜いてすごいと思うんですよね。

正直な所、障害やいじめがテーマの作品はどうしたって明るい話にするのが難しいので、それを可愛らしい絵柄でやられた所で、ちょっとなあ…………と、実を言うと、読むまでは敬遠していた部分があるのですが。

ただ虐められているから辛いとか悲しいとか、虐めて虐め返して、その行動が良いとか悪いとか、この作品はそういう観点で語られていないんですね。こういう事を考える子供は絶対にいて、それを無視する大人の立場と意見があって。
周囲の人間も含めて、全員が一つの出来事に関わっている。それなのに、登場人物の立場と目的がきちんと守られていて、そこに矛盾が発生していない。

口で言うのは簡単ですが、これを作るのは相当しんどいですよ。
どうか、『作家として当たり前』なんて言わないでやってください。

登場人物の脇役一人取り上げてもそれを起こさないというのは、プロで商業的に活動されている方だって、上手くやれているなー、と思う人が少ない。
偉そうな事を言ってるお前はどうなんだって? ……いやあ、笑っちゃうレベルなんで、聞かないでくださいよ。

矛盾を発生させてしまうのは最低ですが、まあ言い訳っぽさを感じさせないように、伏線を最後に語って終わらせてしまったり、というのは常習的に行われている事です。
これを気付かせないようにやる、という極悪なスキルも実はあって……ええ、勿論私のことですよ。

それが、全くないんですよ。物語がきちんと展開されて、はじめから展開されたものが収束するようにできているんですね。
これはもう、『構造が主役の漫画』だと言って良いと思っています。



 2時間という、『映画タイム』の制限。

ということで、話の内容はとても深く、手間の掛かったものになっています。
これを、2時間の枠に収めるというのが非常に難しい。

そのままやろうと思ったら、どうしたって序盤は走らざるを得ません。しかし、その序盤にラストで必要な事が全部書いてあるから困ったもんです。
完成された映画を観て、「あー、やっぱりこうなるよなあ……」と思ったのをよく覚えています。

本編のスタートは主人公達がある程度大人になってからなので、そこからを語らないといけない。
でも、手前の話を切ってしまうと、どうしても登場人物のディテールが浅彫りになってしまいます。

それぞれの登場人物が抱えているテーマや問題も、切らざるを得ません。
そうすると、話の中の重要な要素のひとつ(だと筆者は思っている)である、大局的な視点を持った話、というのができない。

『大局的な視点』って難しいですが、つまりは登場人物ひとり取った話ではなくて、全体的に何が起こっているのか、というのを表現する視点の事として書いています。
ただ誰かに感情移入するだけじゃなくて、『この状況はきついなあ……』なんて思うアレですね。
これをやるためには、登場人物全員が何を考えているのか、ちゃんと語られていないとできないんですよ。

ユーザの持つ『客観視』の視点を排除しなければならなくなるので、どうしても一人称に寄った表現になってしまいます。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を、二人の視点だけで語るようなもんです。
あれって、二人の生きている社会全体が表現されているから、悲しくも決断するしかないと納得する訳であって。
二人の生きている社会を表現しなかったら、何で二人があんな行動を取るのか、現代を生きる私達には分からないじゃないですか。
「この時はこうするしかなかった」って思えなければ、途端に見ている側はついて行けなくなってしまいます。

それが、どこに繋がるか。

物語全体の、説得力の差に繋がるんですよ。

だから、映画しか観ていない人に是非、漫画を読んで頂きたい。
つまらなかったらごめんなさい。石を投げないでね!




『社会』が表現されている作品は強いな―、と最近になって思います。
登場人物の行動だけで語られる作品は、時代が変わると納得できない部分が増えて、作品の評価が風化してしまう。
そういう意味では『聲の形』も、もしかしたら時代を経て、愛される作品に成り得るかもしれない…………いや、それはちょっと言いすぎか?

ともかく、こんな作品が色々なジャンルで出てくればなー、と思うばかりです。







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