浮遊する無名作家の浅慮

『ゲーム依存症の子供対策』には『攻略本』を与えない、という戦略。

『ゲーム依存症の子供対策』には、『攻略本』を与えない、って戦略。


さて、世の中にはゲームばかりをやっている子が、それなりに居るのではないかと思うのですが。

そういえば、私もそうでしたよ。

『ゲームをやっていると勉強が遅れる』だとか、『目が悪くなる』だとか、色々な問題が話されていますよね。おそらく、もう一度子供に戻れるなら、私もゲームはしていなかったのではないかと思います。

まあ、それは大人の感覚だからそうだ、というだけでですね。やはり、子供の頃はゲームが好きだと思うのですが。

私もゲーム好きな子の親御さんから、子供がゲームをしている時間が勿体無いと、よく聞きます。子供の将来の為にならない。そのようなお話もですね、やはり耳にする事があるのです。

しかしながら、ここでは一歩進んで……それでは、何故子供はゲームが好きで、ゲームばかりをやってしまうのでしょうか。

私の子供の頃はどうだったのか。何故、ゲームが好きだったのか。

そして、どうすればゲームをしなくなるのか、という。

今回は、そんなお話をして行ければ良いなと。



 『ゲームが好きな子供』の本質だと思うこと。

一部では『向上心が強いからゲームをやる』という説もあり、そのようなケースもあるのかもしれませんが……ゲームが好きだった私の意見からすると、あれは『クリア要素があって、しかも楽にできるから』だと思うのです。

好きなキャラクターが居るから、というのは二の次ではないか。

何故ならですね、例えばマリオ、居るじゃないですか。あれがゲームじゃなくて唯のキャラクターだったら、私は絶対マリオよりキティとかミッキーを選びますよ。

或いは、戦隊ヒーローとか仮面ライダーの方が、格好良くて良いじゃないですか。

何を好き好んで、赤い帽子の配管工のオヤジを好きにならないといけないのか。私は子供の頃、ドット絵で描かれていたマリオの本質を知った時、ショックを受けた記憶があります。

オヤジ!? カッコ良くない……!! ……と。
マリオファンの皆様、ごめんなさい。マリオは悪くありません。悪いのは私です。

ドンキーコングなんかもそうですよね。ぱっと見てドンキーよりディディーの方が格好良いような気がしていたし。使いやすいし。

という事で、私はディディーが好きでした。

今ではドンキー派ですが。

何が言いたいかというとですね、『使いやすいから好き』なのです。ドンキーの方が使いやすければ、きっとドンキーを好きになっていたでしょう。

初代ポケモンでは、最も強いからミュウツーが好きでした。

しかし、それは私だけでは無かったのです。周りのゲーム好きな子供達の誰もが、ミュウツーが好きであり、ディディーが好きであり、マリオよりもルイージの方が好きでした(ジャンプ力が高いから)。

ここでひとつ、私は子供の本質だと思うことをお話させて頂きたい。

子供は、強いもの・優位なものが好きなのではないか。

純粋に強く、格好良くなりたいと思うが故に、大人よりも負けず嫌いなのではないかという。

という事はですね、キャラクターそのものより、ゲームとセットで好きになっている場合が多いと思うのです。

好きなキャラクターが居るからというのも勿論あるとは思いますが、私の経験からするとですね、それよりもゲーム性に恋している。

それは何故か。

適度に難しく、適度に頑張ればクリアできる難易度だから、でした。



 現実とゲームとの差異。

ゲームには幾つものハードルがあるのですが、それらは比較的難易度が低く、少し頑張ればクリアできるものばかりです。

もしくは、時間を掛ければクリアできるものばかり。

そうやって先に進めるからこそ、好きになる。楽しいのだと思うのですね。

少なくとも、私はそうでした。

ゲーム依存症だった私の本心から言えば、私のような子供は、楽して結果を手にしたいからゲームをしております。

前述の、『向上心が強いからゲームをやる』とはまるで逆の内容になってしまいますね……。

経験論で申し訳ありませんが、私は勉強しても明確な結果が出ない事が嫌でした。

勉強って、『やればやっただけ結果が出るもの』ではなかったんですよね。テストの点数で勝てない子には、どれだけ頑張ってもどういう訳か勝てないし、何と言ってもその理由が分からない。

もっと頑張れば結果が出るのかと思いきや、テストって予め分かっている問題が出る訳ではないので、教科書の内容を丸暗記しても駄目だったりする訳です。算数とか特にそう。

ゲームは違うんですよ。

やればやっただけ、結果が出るように出来ているんですよね。

という事でですね、分からない事に手を出すのが嫌で、私はゲームが好きでした。

『小説を書く』『漫画を描く』なんていうのは分かりやすくてゴールも見えているので、昔から好きでした。

しかし、ゲームもまた、難しい所は沢山ありますよね。クリアできなかったり、考えないと先に進めなかったりする。

だから私は、ゲームと攻略本をセットで欲しがっていました。

できるだけ早く結果が欲しかったんです。ゲームを始める時には、もうクリアした後のことを考えている。

攻略本を見るのは、普段は面倒なのでやらないのですが。ちょっと詰まると必ず、すぐにマニュアルに頼る。

そうすれば、絶対に最短でゴールできるじゃないですか。優位性の発生です。

もはや、これは究極の面倒くさがりではないか。


 『攻略本を与えない』という戦略はどうか。

従って、攻略本の無いゲームは詰まった瞬間に挫けます。諦めも早いです。

これらの事から、私は昔の自分に対してですね、ある仮説を持ちました。

考える事の楽しさを知らないから、簡単なゲームばかりをやるのではないか。

どうやったらそれを達成できるか、というのはすっ飛ばしてですね、達成した結果だけが欲しいのです。だから、現実にある問題よりも、ゲームの中の課題の方がラクで良かったんですよ。

だって、ゲームにはマニュアルがあるから。

その後、ゲームが得意な気がしていて、人と対戦するゲームで何故勝てないのかと悔しがる事になるのですが……これはまた別のお話、ということで。

本来なら、マニュアルのあるゲームなんてすぐに飽きるとお思いでしょうが、これがまた不思議なもので……クリアできるのが面白いんですよね。

してやったり、って気持ちになります。

「俺はラクしてクリアしてやったぜ」と。「俺しか知らない抜け道を、俺だけが知っている……!!」と思う事もあります。

それで良かったのか、私。

世の中には、マニュアルに頼らずにゲームを一生懸命やっている方も多いと言うのに。





苦労はしないで、勝利の余韻だけ欲しい。

様々なハマり方がありますが、それが『ゲームばかりやる子供』の、性格のひとつだと思っています。

このような、私のような子供達にはですね、手っ取り早く現実に目を向けさせてあげる方が、きっと良いのではないかと思うものです。

そして、それに対しての対策というのがですね、『攻略本を与えない』という戦略なのではないか、と思います。

どのゲームにも難しさというものはあるもので(最近のゲームがどうかはちょっとよく分かりませんが)、ゲームをやっていると、いずれ挫ける時が来ます。

その時に、友達に聞いたり、攻略本をせがんだりして、勝利への抜け道を作ろうとする。

昔の私のような子供ができない為に、どうかここを塞いでやって欲しい。

そうすると、途端にゲームが苦痛になると思うのですね。始めの方、少しは考えますが、すぐに音を上げて「なんでクリアできないんだよー!!」と癇癪を起こし始める。

ここが、『考える練習』をするための、ひとつのチャンスではないか。その時にクリアの方法を教えてあげるのではなく、一緒に考えてあげる事が大切なのではないか。

「じゃあ、どうしてクリアできないんだろう?」「何が分からないんだろう?」これを考えるようになれば、他のことが何故うまくいかないのかも、考えるようになってくる。

ゲームについて『自分の頭で解決して、楽しむ』という楽しみ方ができるなら、もうその子はゲーム以外のモノも好きになっているはずだと、思うものです。

きっと、勉強の成績も上がると思うのですよね。

最も有害だと思うのはゲームをやることそのものではなくて、上手くいく方法を考えずに、ショートカットしようとする意思の方ではないかと。

そればかりやっていると、今度は本当にゲームしかできない日が来るかもしれないので……。

……と、ゲームばかりをやっていた私から、何かのヒントになれば良いなと思い、このような記事を書かせて頂きました。

ゲームをする事そのものも、やはり有意義な時間になる可能性があると。逆に、何をしていても有意義ではなくなってしまう事もあります。

有意義に日々の時間を使いたいものですね。

お後がよろしいようで。





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