さて、天才といえば『天才てれびくん』を思い出してしまいますが、天才てれびくんに出演した子役のその後というのを調べてみると、意外と面白そうな雰囲気があったりとか。
いや、本題はそのような所にはないのですが。
今回は、『天才! 成功する人々の法則』という、ステキなタイトルの本を読んでみました。
Malcolm Gladwell
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良いですね、天才。私も好きですよ。
これで良いのだ。と、どこからか聞こえてきそうですね。
こちらはマルコム・グラッドウェルという方が書いた本で、『何事においても卓越した能力を身に付けるためには、10,000時間という長い時間をかけて努力する必要がある』という、少し有名なワードの元になった本でもあるそうで。
ご存知ですか、10,000時間。10,000時間というと、これは416日と16時間という計算結果に辿り着くと思うのですが。
つまりこれは一年以上が経過してしまっている、ということで。これはどういう事かと言いますと、なんとですね、600,000分も経ってしまう、という事なのです。
カップラーメンが20万個も作れてしまうわけです。すごいですね。
イコール、天才というのは初めからできていた訳ではなく、その場所に到達するために何年もの血の滲むような努力を重ねてきた結果だと。『才能』というものは無いんだ、とも主張があるようですね。
原書では『天才』とは言わず、『Outlier(異端者)』だと説いたようですが。
本の中では、類まれなる『努力』と、それを形にするための『好機』の両方が揃っていれば、成功できる可能性は飛躍的に高まる、と説いておりました。
10,000時間への道程
しかし、10,000時間って、実際にはどの程度の時間が経過すると達成されるものなのか。そのような事を、この本を読んでですね、思わず考えてしまった私ではありますが。
そういえば、私は物語の作り方について研究して、20年程度が経過した所です。しかしながら、24時間365日、フルフルでやっている訳ではありませんので、当然実稼働時間というものはですね、落ちると思うのですね。
24時間365日といえば、これはマクドナルドではないか。いえむしろ、マックフルーリーではないか。
腰を振りながらポテトを振る。シャカシャカポテトというものもありましたね。あ、これはマクドナルドではありませんね。
ポテトはどうでもいいとして。
当然、その間には書いていない時間も含まれる訳です。従って、1年半で10,000時間を鍛錬した訳ではないと。
しかしながらですね、さすがに20年もやっていれば、物語作りにかけた時間は楽に10,000時間を超えているのですね。
同様に、18歳位の頃からコンピュータを学び始め、こちらも10年以上を経過した所です。こちらは現在お仕事になっておりまして、謹んでお引き受けさせて頂いております。
私が10,000時間を超えたものというと、こんな所ではないかと思うのですが。
ああ、それとですね、くだらない妄想をする事にかけては、10,000時間どころか100,000時間くらい行っているのではないかと思うのですが。
ではこれが、成功したのかと言うと。まあ、しているとは言えないのではないか。
別に何かを達成した訳でもないですし。お仕事も、どちらかと言えば安月給な部類ですし。
もしも努力が充分なのだとすれば、10,000時間とは一体何なのでしょうか。
そこでですね、この本を読んだ所、成功するためには『努力』と『好機』が必要である、と書いてありまして。
『好機』とは、チャンスの事ですよね。配牌ダブルリーチ跳満確定裏ドラ期待、といった所ではないかと思うのですが。
チャンスとは、一体何なのでしょうか。
チャンスはどこにでも転がっているのではないか。
この本によると、たとえばですね、『一年の単位で区切り、その中から選手をプロにすると決めた場合、当然ながら、年の始めに生まれている人間の方が有利であり、プロになっている確率が高い』といったような事が、チャンスという意味だそうで。天才は存在しないと匂わせつつ、生まれた境遇が最も大事な可能性があると。やはり、天才とは血ではないか。
スーパーサイヤ人ではないか。
そのような、努力の中で訪れたチャンスを大事にしていけと、そういう事のようで。
そういった意味で考えますと、私などはですね、やはり訪れたチャンスを『今ではないか。……いや、今ではないのではないか。むしろこれは、林先生ではないか』と迷っている傾向にありますので、そのせいで飛躍を逃している可能性が大きくありますね。
しかし、私は思いました。
もしもそれがチャンスであるとすれば。今は、昔よりもチャンスを掴みやすい時代になっているのかもしれない、と。
何故ならそれは、インターネットなるものがあるからです。
誰でも個人の立場から情報を発信する事ができ、情報を受け取る事ができる。誰でも利用しているインターネットですが、これはよく考えてみるとすごい事ではないでしょうか。
過去の人々はですね、何か情報を受け取ろうと思えば、最短の道は『新聞』だった可能性もある訳ですね。
何か情報を探そうと思えば、それは『本屋』だったかもしれない。情報を発信しようと思えば、それは『カップ麺のCM』だったかもしれないのですね。
そのような意味で考えますと、やはり、昔と比べてお金を得る手段というものもですね、選択の幅が増えているのではないか。
バラエティ番組ではないかと。
まだインターネットが電話回線だった時代には、ホームページを表示するのに3分以上掛かっていた事もありました。カップラーメンが作れます。
そんな世界では、情報発信にも限界が来てしまいますからね。
あ、私はカップ麺の回し者ではありません。
『10,000時間』はマジックワードではないのではないか。
さて、そのような事を考えまして。ではやはり、大切なのは10,000時間の努力なのかと思った私なのですが。インターネットを用いてですね、10,000時間を検索してみますと、これは様々な意見が出ているようなのですが。
私の個人的な見解としては、「10,000時間努力したからといって、そこからプロフェッショナルに必ずなれるわけではない」説に一票を投じたいという、そのような結論に至りました。
というのもですね、やはり体感的に、10,000時間では思うレベルに到達できていないなあ、とですね。身に沁みて思うのです。
ひとたび山を登れば頂上まで止まれない私は、一度やり始めると納得行くまでやめられない性格なのですが。
1ヶ月考えた小説でもですね、やはりこれは、よく考えると駄目ではないかと。狙い通りの事は出来ていないのではないかと、考え直すことがよくありまして。
やはりここで、ボケなければいけないのではないか。どんでん返しは……やはり、ここはボケではないか。
むしろボケなのは私の方ではないかと。
しかしですね、努力した時間で言ってしまえば、これは10,000時間どころか20,000時間くらい余裕で到達している状況なのですね。
ということで、やはり10,000時間とは、プロになるまでの時間ではないのではないか。
むしろ、そこからがスタートラインなのではないかと。
最近は、そのような事を考える次第です。
ただ、『物事を理解する為に必要なスキル』はあるのでは。
ということでですね、10,000時間というものは、やはりひとつの目安にしかならないのでは、と思ってしまいますが。ひとつだけ、別のことを考えない事もありません。
それは、努力の時間を縮めるための努力というものが、世の中には存在するということです。
所謂、『勉強できる奴は勉強のやり方が上手い』というものですね。
やはりですね、学生時代からそうだと思うのですが。
勉強がよくできる方というのは、これは勉強に多大な努力を割いていたと言うよりは、効率良く学べる勉強の仕方を追求していた、というひとつの側面があるのではないか、と思うのです。
同じだけの時間を勉強に当てている筈なのに、私よりも圧倒的に成績が良い、というのは、これはもう飽きるほど経験してきたものですから。
それ程に、私の努力というものはですね、これは燃費が悪いのではないか。
もっと効率のいい方法があるのではないかと、最近は追求するようになったと。そういう事なのですね。
やはりこれは、パフォーマンスの向上。トヨタのアクアもリッター37kmを走るようになるのではないか。
私も見習って、ガソリン(おいしいコーヒー)と電気(おいしいコーヒー)をハイブリッド補給できるようにならなければ。
カフェイン過多ですね。
さて、私は考えました。
私のように効率の悪い人間というのはですね、様々な物事を学習して行くに当たり、『手法』の部分に重点を置き過ぎる傾向にあるのではないか、と思うのですね。
すなわち、これから何をすれば良いのか。例えばですね、『1分で頭が良くなる方法』ですとか、『2秒で億万長者になる方法』というものに飛びついてしまう傾向にあるのではないかと。
しかしですね、これは少し、短絡的過ぎるのではないか。
その『手法』の効率が本当に良いと分かるためにはですね、これは、過去にその『手法』が有効であったという、確たる証拠が必要になるのではないかと思うのですね。
すなわち、『歴史』と『手法』こそが、『技術』という事もあるのではないか。
『歴史』と『手法』。この2つは両立されていなければ、互いに互いを肯定できないモノではないか。
そして、どちらか片方だけでは、『技術』に昇華される事はないのではないか、と。
- 歴史……これから覚えたいその技術が、『何故、どのような経緯で』そうなっているのか
- 手法……これから覚えたいその技術は、『これから、何をする事で』そうなるのか
やはり、この考え方は大事なのではないか。
カップ麺が何故3分で出来上がってしまうのか、という事で考えてみればですね。
- 何故、『3分』で出来上がってしまうのか。
- その『3分』までの道程は、どうであったのか。
この仕組みを理解できなければ、カップ麺の茹で上がり時間を2分にする事は、やはりできないのではないか。
なんだか、納得が行ったような気がします。
あ、私はカップ麺の回し者ではありません。
確かに、我々が何らかの形で成功するためには、『努力』と『チャンス』が必要なのかもしれませんね。
しかし、チャンスはいつ転がってくるか分からないものですので、我々はやはり、努力しながらチャンスを探すしかないのではないでしょうか。
トイレを素早く終える努力をしながら、トイレの場所を探す、と。
新世紀のボトラーの誕生でございます。
あ、ボトラーというのはですね、ペットボトルで用を足す人のことです。
どうでもいいですね。
お後がよろしいようで。
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